所在地案内. ©Copyright 2020 Carat Woman. 13:15. 「いつもを、ステキに、かえていく」を合言葉に、 日常を、少しずつ新しく変えていく 横浜のショッピングセンター、ジョイナス。 フロアガイド、ショップ情報、イベント情報などがご覧いただけます。 b☆magic!ハマスタに魔法がかかる3日間 横浜ガールズフェスティバル2020の情報はこちら。みんなでガルフェスを楽しもう! 「男はつらいよ」「ハウルの動く城」などで有名な倍賞千恵子さんは、現在どんな活動をしているのでしょうか?聞いて驚く倍賞千恵子さんの年齢、夫や子供について、そしてあの高倉健さんとの熱愛話など、美しき若い頃の倍賞千恵子さんの画像も交えてご紹介していきます。, 倍賞千恵子さんは現在79歳ですが、やはり大女優は品があって美しいですよね。平成の女優は何かあるとすぐに引退してしまうような時代ですが、昭和の大女優は何歳になっても美しさを損なわないことを目指して、それをみんなに提示して生きていらっしゃるように思います。倍賞千恵子さんは年齢をキレイに重ねた美しさがあります。, 倍賞千恵子さんは俳優の小宮健吾さんと1976年に結婚をしました。しかし、4年ほどで離婚します。離婚の原因は格差婚によるすれ違いが原因だったようです。, その後、倍賞千恵子さんは独身生活が続きますが、52歳の時に8歳年下の小六禮次郎さんと再婚しました。小六禮次郎さんは作曲家で、松本清張ドラマやNHK大河ドラマ、アニメプリキュアと多岐に渡って携わっているクリエイターの重鎮です。, 倍賞千恵子さんと小六禮次郎さんが出会ったときには、小六禮次郎さんには妻子がいたのです。そのため、倍賞千恵子さんと小六禮次郎さんが結婚した時には、略奪婚とも言われていました。, 倍賞千恵子さんのコンサートに夫である小六禮次郎さんがピアノで伴奏し、夫婦共演を行っているのです。毎年のように開催されいてるコンサートで夫の小六禮次郎さんとのコンビが人気を呼んでいます。, 2020年のコンサートは新型コロナウイルスの影響で、残念ながら中止となってしまいましたが、2021年6月にコンサートが行うことがすでに決定しています。, 夫婦ならではの息の合ったコンサートは、毎年たくさんの人が集まる人気のコンサートとなっているのです。, 倍賞千恵子さんが2019年4月27日の平成最後の放送となった「サワコの朝」にゲスト出演しました。そこでは、倍賞千恵子さんが女優として活躍する中での、映画の秘話についても語ったのです。, 倍賞千恵子さんは松竹映画からのスカウトを受けて、映画の世界に入りました。しかし、当初は映画に出演するのは嫌だったそうです。海に向かって「映画なんて大っ嫌いだー!」と叫んだこともあると明かしたのです。, そんな、映画嫌いだった日々の中で、出会った俳優さんたちについて語りました。「男はつらいよ」シリーズに出演していた時に、渥美清さんには人間としてどうあるべきかを教えてもらったといいます。, 渥美清さんを通じて、社会の在り方や人生の生きる道を教えてもらったようで、「男はつらいよ」の映像が映し出されると、感極まったような姿も見せました。, 「倍賞千恵子さんは北海道に引っ越してしまわれたのか?引退か?」という噂が立ちましたが、微妙に違うようです。倍賞千恵子さんは東京都港区にご自宅があります。, しかし、北海道の別荘で過ごされているのも事実のようですね。シベリアからの白鳥の飛来地としても有名な北海道の野村郡に、気候の良い時期は滞在しているそうです。, 倍賞千恵子さんに子供はいません。倍賞千恵子さんの出演作品を並べると「いつ休んでるの!?」と言いたくなるほど毎年お仕事をされてきた女優さんです。, 映画デビューから77歳の今まで、ずっとお仕事に心血を注いでいらっしゃいます。子供がいたり主婦をしたりという、一般の人とはまた違う人生を選ばれ、歩んで来られたようですね。, 倍賞千恵子さんが唯一、自分の子供のように、または妹のように可愛がった女優がいました。2015年に54歳で亡くなった女優の川島なお美さんです。, 川島なお美さんは倍賞千恵子さんを憧れの女優としてとても慕い、親交が長く続いたそうです。川島なお美さんの葬儀で倍賞千恵子さんは悲しみの中、弔事を読みました。, 倍賞千恵子さんは2001年のときに、乳がんが発覚しました。そして、乳房を全摘せずに温存治療を行い、放射線治療を用いて、癌を克服していたのです。, 現在までに乳がんの再発もしていないようです。そして、自身の経験から乳がん検診の早期受診を勧めるピンクリボン活動にも精力的に参加もしています。, 倍賞千恵子さんの幼少期は戦時中だったため、茨城県に家族で疎開するという経験をされたそうです。当時は芋やきのこ類、川で釣ったエビや貝など自然の食べ物を収穫し、食べていらしたそうです。, お料理好きの倍賞千恵子さんは、その経験も踏まえてか「倍賞千恵子 お料理の知恵袋」という著書を、後に出版されています。, 倍賞千恵子さんは戦争が終わると、東京都北区滝野川に引っ越しました。そして女優への第一歩である、みすず合唱団へ入団します。, 合唱団で表現する楽しさを覚えてから、その後に芸能や歌手の道を目指すのは、当時の芸能人の基本コースだったようです。倍賞千恵子さんは子供ながら頭角を現し、童謡レコードを収録しています。, 倍賞千恵子さんの両親は、倍賞千恵子さんを松竹音楽舞踊学校に入学させようと勝手に申し込みをしてしまったそうです!よく巷で聞く「親が勝手に」「姉が勝手に」芸能事務所やオーディションに申し込んでいた、という話ですね!倍賞千恵子さんの美貌にいち早く気付いていたのは他ならぬ両親だったのですね。, 倍賞千恵子さんが演じた「男はつらいよ」のさくらは、きれいなおでこを出した髪型をしていて慎ましく優しく穏やかです。しかし倍賞千恵子さん本人はこのイメージを保つことに疲れを感じ、嫌になって前髪を無理矢理短くカットしたこともあったそうですよ。さくらと本当の自分の間で葛藤がたくさんあったのでしょうね。, 倍賞千恵子さんは歌手としても大変活躍された方です。唱歌や抒情歌を歌わせたら一、二を争う方なのではないでしょうか?伸びやかな歌声と凛とした正しさが漂う歌唱力を持っていて、日本人の心に芯を通してくれる、そんな表現力のある歌い手さんです。ぜひ聴いたことが無い方はご一聴してみてくださいね。, キレイな人は恋愛もたくさん経験するもので、倍賞千恵子さんも波乱万丈な恋愛を経験されているようです。, 好きな男性が別の女性との間に子供を作っていたり、不倫を約8年ほど続けた結果、別れを選択することになったりなど、壮絶な恋愛をしていたようですね。モテる女性にはモテる男性が近づいてくるということなのでしょうか?, これだけキレイな倍賞千恵子さんは、若い頃にあの高倉健さんとの熱愛が週刊誌で報道されました。公式には倍賞千恵子さんと高倉健さんは認めていないものの、目撃談は多く、芸能界でも噂になるほどだったそうです。, 映画「幸福の黄色いハンカチ」で共演後、2人が共演することは無く、そのままフェイドアウトした形になりました。, 「そんなキャスティングがあったのか!」と度肝を抜かれたのがジブリ映画「ハウルの動く城」です。当時60歳の倍賞千恵子さんはソフィー役となり、18歳のソフィーと90歳のソフィーを見事に演じきります。, ハウル役は木村拓哉さんでしたが、倍賞千恵子さんをよく知らない世代にも倍賞千恵子さんが知れ渡った映画になりました。, 女優の倍賞美津子さんは倍賞千恵子さんの5歳下の妹です。倍賞千恵子さんには姉や弟が合わせて5人もいます。倍賞千恵子さんは次女、倍賞美津子さんは三女です。, 倍賞美津子さんは嵐の二宮和也さん主演の「ブラックペアン」にも出演していました。個性的な演技をする倍賞美津子さんは五社英雄監督映画にも出演されています。, 倍賞千恵子さんの弟は日産自動車の硬式野球部の元監督をしていた、倍賞明さんなのです。日本大学第三高等学校の出身で、甲子園では準優勝もしているメンバーでした。, 日本大学に進学してからは、4年生の時には日本選手権で優勝もしています。そして、1975年の30歳の時に、就職していた日産自動車の監督に就任しているのです。, 倍賞千恵子さんとも仲が良かったそうで、自慢の弟だったようです。倍賞明さんは2019年1月に74歳で前立腺がん多臓器転移により、他界されています。, 「チコちゃん」と愛称が付いていた倍賞千恵子さん。昔の倍賞千恵子さんはもちろん美しいですが、今の倍賞千恵子さんの美しさはきっと内面から醸し出されるものが大きいように感じますね。女性としても女優としても人間の生き方としてもロールモデルにする方は多いと思います!これからも応援したいですね!. 俳優「倍賞千恵子(バイショウチエコ,Baisho Chieko,バイショウチエコ,Baisho Chieko)」が携わった映画179作品を紹介。現在上映中の「461個のおべんとう」の出演(鈴本奈津子 役)。「天気の子(2019年7月19日(金))」の出演(声)(立花冨美 役)。 倍賞千恵子さんといえば若い頃から「チコちゃん」という愛称で親しまれている女優さんですよね。, 今ももちろん美しい倍賞千恵子さんなんですが若い頃の画像があの人気モデルローラに似ていてかわいいと話題になっているんです。, 今回は、この倍賞千恵子さんについて若い頃の画像を交えながら振り返っていきたいと思います。, さっそくですが若い頃デビューしたての倍賞千恵子さんの画像を載せておりますがいかがですか?, もーこの美しすぎる方はどちら様ですか?というくらい若い頃の倍賞千恵子さんの画像綺麗ですよね。, そっくりとまではいいませんがくりっとした目元など特に人気モデルローラさんに似ています♪, さてさて、倍賞千恵子さんは1941年6月29日東京都豊島区に生まれたんですが、この倍賞という苗字珍しくないですか?, 本名でもある倍賞という姓は、先祖に頭のいい方がおり書記に抜擢されなにかの賞を受けたというのが由来なんだそうですよ。, 将来の夢は歌手と決めていた倍賞千恵子さんは松竹音楽学校に入学し松下劇団(SKD)13期として入団したんですが, ここでご紹介している画像は映画「下町の太陽」に出演していた若い頃の倍賞千恵子さんです。, 松下歌劇団でしばらく活躍していた賠償千恵子さんなんですが1961年松下映画にスカウトされたため退団し芸能界デビューしました。, その時に出演したのが「斑女」という映画作品だったんですがその後1963年に山田洋二監督の作品「下町の太陽」に, 主演女優として抜擢されて以来、その美しさと抜群の演技力により山田監督の作品に欠かせない庶民は女優として人気になったんですよ!, ちなみにこの「下町の太陽」で元々の夢でもあった歌手デビューもして、なんと第4回日本レコード大賞新人賞にまで選ばれました。, 一つの作品で女優としても歌手としても人気になるなんて倍賞千恵子さん若い頃からすごかったんですね。, 山田洋次さん原作・監督である「男はつらいよ」シリーズをご存知の方も多いと思いますが, そんな中、先ほどもご紹介したように山田洋二さんの他の作品出演依頼が殺到していた賠償千恵子さんは, 若い頃から「男はつらいよ」など様々な映画・ドラマ作品に出演してきた賠償千恵子さんなんですが, ソフィーは若い女の子が魔女に魔法をかけられておばあさんになるという役柄だったんですがどちらの声も倍賞千恵子さんが担当しました。, しかし、若い頃は若い子の声そしておばあさんの声はしゃがれた声とさすがプロ、見事に使い分けていました。, 賠償千恵子さんは長年松竹専属の映画女優であったので、テレビドラマの出演は同世代の女優さんたちと比べると極めて低かったんです。, しかし「男はつらいよ」出演した後、「志村けんのだいじょうぶだあ」にゲストとして登場したんですが, 大女優ならではのボケからつっこみまで幅広く対応でき、さらに気さくな一面の芝居ぶりが視聴者にも好評価を得て, 回数はそこまで多くはないんですがコントのオチをまかされたりとコント番組にも多く参加していたんですよ。, しかし、年齢を重ねてからは活動の場を音楽に置き、歌謡曲からポピュラーな歌、そして童謡など, 今回は、若い頃から女優・歌手・声優と幅広い場所で活躍をしてきている倍賞千恵子さんについて, 今ももちろん綺麗なんですが、倍賞千恵子さん若い頃は人気モデルローラに似ているめちゃくちゃかわいい女性でしたね。, あの有名な映画監督山田洋二さんに見込まれ様々な作品に出演していくなんて本当にすごいことですよね。, 賠償千恵子さんは2001年「乳がん」だという事が発覚したんですがそれ以降ピンクリボン活動や, 同じく乳がんを発症した山田邦子さんと立ち上げたスター混声合唱団のメンバーとしてもがんの啓発活動に取り組んでいるんですよ。. All Rights Reserved. (adsbygoogle=window.adsbygoogle||[]).push({}); そんな倍賞千恵子さんの気になる結婚事情について調べてみたのですが、1976年に俳優の小宮健吾さんと結婚されていることが分かりました。, さまざまな、恋愛経験を20年近く続けた末の1993年に作曲家の小六禮次郎さんと再婚をされています。, 小六禮次郎さんは、作曲家としてこれまでに映画やミュージカルをはじめ、CM作品やオペラに交響詩などの幅広いジャンルを手がけています。, 倍賞千恵子さんが、1年の半分近くを過ごすという北海道にある別荘の所有者は小六禮次郎さんのようです。, 別荘のほかには、プールや自家用の飛行機まで持っていることも公表していることから、かなり良い生活を送っているのではないのでしょうか。, ちなみに、現在はお2人の間にお子さんはいないということで、今後の進展も気になるところですよね。, これまで多くの作品に出演して、大人気女優としての地位を今も築いている倍賞千恵子さん。, 松竹音楽舞踊学校を首席で卒業すると、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団し、若くして「逸材」と注目されるようになります。, 同期には、女優の榊ひろみさんや「サザエさん」や「大改造! 開庁時間. ショッピング 10:00 ~ 21:00/レストラン 11:00 ~ 22:00(一部店舗は23:00), 営業時間
!劇的ビフォーアフター」でおなじみの声優・加藤みどりさんなどがいます。, 1963年に「下町の太陽」で歌手デビューし、第4回日本レコード大賞新人賞の受賞歴やNHK紅白歌合戦4年連続出場の経歴も持っています。, 他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」などがあります。, 男はつらいよの出演後、2004年には宮崎駿監督のアニメ映画「ハウルの動く城」においてヒロイン・ソフィーの声を担当。, ヒロインとして、声の出演と同時に主題歌「世界の約束」を歌っているのも倍賞千恵子さん本人です。, 現在は音楽に重を置いた芸能活動を行っていて、歌謡曲からポピュラーおよびスタンダードや童謡・唱歌などの幅広いジャンルを歌いこなしていることから現在も精力的にコンサートを行っています。. 映画「男はつらいよ」シリーズで、渥美清さん演じる主人公・車寅次郎の妹、さくら役を演じたことで当時は絶大なる人気を集めました。, 実は僕が住んでいる奄美大島もロケ地の1つとして知られていて、僕も毎年のようにロケ地を訪れています。. 横浜のショッピングセンター「JOINUS」の公式Instagramアカウントです♩ 倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6月29日[1] - )は、日本の女優、歌手、声優。愛称は「チコちゃん」。, 実妹は女優の倍賞美津子。実弟は日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明[注釈 1]。夫は作曲家の小六禮次郎。, 西巣鴨生まれ。東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県に疎開。北区立滝野川第六小学校、北区立紅葉中学校(現:北区立滝野川紅葉中学校)卒業[1]。父は都電の運転士、母は車掌であった[3]。, 珍しい倍賞姓は秋田県鹿角郡(現:鹿角市)十和田大湯にルーツを持つ[3]。先祖は佐竹藩に仕えた守衛で、先祖の一人に頭の良い人がいて書記に抜擢され、何かの賞を受けたのがこの姓の由来という[3]。千恵子の父:美悦は当地の出身で、中学のとき東京に出て、数え年15のとき少年車掌の試験を受け合格した[3]。母:青木はなは茨城県真壁郡大和村(現:桜川市)出身[3]。母も小学校卒業後、東京で女子車掌となり美悦と知り合い結婚した[3]。, 幼少時は「のど自慢」荒らしとして知られ、みすず児童合唱団を経て、1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団、若くして「逸材」と注目される[1]。同期に榊ひろみ(松竹女優)、加藤みどり(声優)らがいる。学校時代の実習出演を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」で初舞台を踏む。この年から、主席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。, 1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演[1] して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。, 1963年に『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した(詳細は下記参照)。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。, 映画『男はつらいよ』シリーズでは渥美清演じる主人公車寅次郎の妹さくら役を演じ、人気を不動のものにした[1]。『男はつらいよ』で共演した吉岡秀隆とは現在でも親交が深く、北海道野付郡別海町の倍賞の別荘に遊びに来た際には、(吉岡に)マッサージを頼むほどの仲である。, 『家族』をはじめ、『男はつらいよ』シリーズの合間を縫って山田が発表したオリジナル大作にも出演。特に『キネマの天地』までは全て主演かマドンナ役である。『男はつらいよ』シリーズ開始前の初期山田作品のほとんどでも倍賞が主演を務めており、延べ60本以上の作品に渡って、海外にも類を見ないほどの緊密かつ長期の監督・主演(または準主演)女優コンビを維持した(それでいて私的な交際の噂が立ったことは一度もない)。逆に他監督作品への出演は非常に少なく、悪女役への意欲も口にしていたものの映画では実現していない。松竹歌劇団出身ということもあり、コンサートなどでは思い切ったモダニズム志向も発揮している。, 『男はつらいよ』シリーズにおける「明るいが優しく淑やかなさくら」のキャラクターに比べると、プライベートでの倍賞はもう少しチャキチャキとしている。倍賞の陽性の側面を引き出す企画として、山田の愛弟子高橋正圀はNHKテレビドラマ『ぼくの姉さん』[4] 二部作を書き下ろした。これは文字通り「妹」さくらとの対照を成しながら共通点も非常に多い(両者の夫も工員と画家という異質な職業ながら、温厚なインテリという点で共通している)という、一種の変奏曲的な狙いとなっている。, 渥美の死去は山田洋次から1996年8月6日の夜に電話で聞き、「しばらく信じられなくて、(作品は本人が)動いているから見るのがいやだった」と振り返っており[要出典]、8月13日に開かれた「寅さんとのお別れの会」では、弔辞の後に「さくらのバラード」を献歌し、山田監督には「話が支離滅裂になったって、かまわない、途中で泣いてしまっても構わない。とにかくあなたにとっての渥美さんへの思いを話せばいいんだから」と言われている[5]。また、『男はつらいよ』48作で共演した三崎千恵子が死去した際には弔辞を読み、三崎が病床で聴いていたという「忘れな草をあなたに」を歌った。, 2004年には、宮崎駿監督のアニメ映画『ハウルの動く城』ではヒロインであるソフィーの声を担当し、主題歌『世界の約束』を歌っている。, 長年、松竹専属の映画女優であったこともあり、テレビドラマへの出演が同世代の女優と比べて少ないが、フジテレビのコント番組『志村けんのだいじょうぶだぁ』に出演した折には『男はつらいよ』のパロディを演じ、重要な大ボケの場面を見事に決めて笑いを取ったり、コントの芝居上男装や不良役など普段の芸風からは想像つかない役柄も熱演しボケからツッコミまで幅広く対応したりするなど大女優らしからぬ気さくな一面と役どころの広い芝居ぶりを見せて視聴者からも好評で、回数こそ多くないがコントのオチを任されるほどの常連ゲストとして定着し『バカ殿』にもゲスト出演した。, 映画『男はつらいよ』主演の渥美清逝去後は、音楽に重点を置いた芸能活動をしている。歌謡曲からポピュラー/スタンダード、童謡・唱歌まで幅広いジャンルを歌いこなすことに加え、よく伸びるソプラノと日本語の発音の美しさから歌手としての評価も非常に高く(藤山一郎も評価している)、現在でも精力的にコンサートを行っている。, 2001年には、自身の胸のしこりから乳癌が発覚する。紫綬褒章を受章した2005年頃よりピンクリボン活動に参加し、シンポジウムなどにも参加している。その後、同じく乳癌を発症した山田邦子が立ち上げたスター混声合唱団のメンバーとしてもがんの啓発活動を始め、2008年4月に放送されたBS朝日『鳥越俊太郎の遺言 〜ガンと共に生きる〜』では、手術時の心境や夫の力添えについて公に詳述した[注釈 2]。, なお、これまで仕事上の支障がなかったことから、インタビューなどで闘病体験について軽く触れることはあっても、具体的な闘病生活についてはその番組収録まで意図的に伏せていたという。, 銀河テレビ小説 ぼくの姉さん - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス, “森七菜:V6井ノ原快彦主演映画に出演 若林時英、阿部純子、KREVAら9人のキャスト発表”, https://mantan-web.jp/article/20200416dog00m200072000c.html, “さくら”の倍賞千恵子、ヒット曲をいくつも持つ歌手としての功績を忘れてはならない。【大人のMusic Calendar】, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=倍賞千恵子&oldid=79561863, 特集オーディオドラマ「昭和20年のベートーベン〜焼跡に響いた第九〜」(2015年、NHK-FM), 日本歌手協会創立50周年記念 第40回歌謡祭(2013年11月21日、ゆうぽうと), 第14・16・17回は『思い出の紅白歌合戦』(NHK-BS2)で再放送されている。.