レミ・パン(レミパン)という鍋まで開発してしまいました。, レミパンは、炒める 焼く 煮る 蒸す 揚げる 炊く を1台でこなすオールインワン性能を持っていて、今までに250万個以上売れたそうです。, 2016年3月15日に今までのレミパンに便利な機能をプラスした、remy pan +(レミパンプラス)が発売されています。, 2013年年6月8日の毎日新聞「親子インタビュー」で和田唱さんは母の平野レミさんと対談をしています。, 周知の事実だというのに、和田唱さんが自分の母がレミさんだということを頑なに隠していたので、これにはファンもビックリでした!, 実は2005年にも両者の対談をオファーしたそうですが、その時はまだ”時期”ではなったようなのです。, 「おまけに、お母さんは授業参観なんかでいつも目立って、音楽の授業でイエーイ!と叫んだりするし…」, 自分を見てほしい、もう親は関係ない、自分の歌を評価してほしいという思いがすごく強かったんです」, 和田唱さんはセンシティブな面があるらしく、特に中学生の時は暗黒時代だったと話しています。, それでなくても、思春期で多感な時に授業参観で目立たれてしまうのはキツイですよ(苦笑)。, 「俺はさ、どういうふうにしたら両親が喜んでくれるかなみたいな思いが、いつもあるんです」, 和田唱さんに今後の抱負を聞いたら、このようにレミさんを喜ばせることを言ったそうですよ。, お二人は昔からの知り合いで、和田誠・平野レミ夫妻の自宅によく遊びに来ていたそうです。, レミ「そうなんだって。私全然知らなかったんだけど、SMAPに曲かいたりしてんだって」, これに対し「リーダー、作詞作曲、リーダー、ボーカル、しゃべり。みんなやってかわいそうなのー。」とレミさん(笑)。, しかし、和田さんもアラフォーになり、何がきっかけなのかは分かりませんがメディア出演を解禁にしたようですね。, 今度は和田唱さんが徹子の部屋出演し、平野レミさんの話題をしてくれることを期待しています!, 和田唱の父親がトライセラトップスの生みの親!?母親の平野レミと徹子の部屋で対談した!?, 「リーダー、作詞作曲、リーダー、ボーカル、しゃべり。みんなやってかわいそうなのー。」. 長女のお弁当づくりに勤しむ。, 現在は3人の子供を持つ父親となった率さんですが、奥さんは元モデルの明日香さんです。, 明日香さんも「食」に携わる仕事に就いており、現在は食育インストラクターとして活躍されています。, 2010年より、 和田がレミを紹介するよう頼んだのは当時レミとラジオ番組で共演していた久米宏であったという。久米は「レミさんだけはやめた方がいいと思いますよ。」と返したという[2]。, 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市で生まれる[3]。1945年(昭和20年)、精の失職に伴い3月に一家で東京都世田谷区代田に転居。しかし誠は家族と一人離れて疎開した千葉県で敗戦を迎える。, 東京へ戻り世田谷区立代沢小学校3年次に転入し、東京都立千歳高等学校(現・東京都立芦花高等学校)、多摩美術大学図案(現・デザイン)科を卒業。『グレン・ミラー物語』(1954年)を観て、ジェームズ・ステュアートに似顔絵付きのファンレターを出して、返事で絵を褒められたのが絵を職業にしようと決心した理由の一つだという[4]。, 1959年(昭和34年)に広告制作プロダクションライトパブリシティにデザイナーとして入社し、同年、日本専売公社が発売予定の新商品の紙巻きたばこ「ハイライト」のパッケージデザインコンペに参加し、採用される(同製品のデザインは、1964年開業の東海道新幹線の車体の色を決めるときに配色の参考にされたといわれている)。, 他にも自社のライトパブリシティ及び、社会党のロゴマークを手掛け、キヤノンや東レといった国内有数の企業の広告デザインを長らく担当した後、1968年(昭和43年)退社。, 1964年に灘本唯人、宇野亞喜良、山口はるみ、横尾忠則らと東京イラストレーターズ・クラブを結成(70年解散)。, 退社後はフリーランスとなり、「週刊文春」の表紙や星新一著作の挿絵などを手掛ける。他、星新一・丸谷才一の一連の作品や村上春樹の『アフターダーク』、三谷幸喜や阿川佐和子作品を始め、数多くの装丁を担当する(この縁もあり、阿川や三谷とは交流があった)。, イラストレーターとしての仕事が知られる一方、『窓ぎわのトットちゃん』など、自身のイラストを用いないデザインも見られる(この縁から黒柳徹子とは交流があり、なかなかテレビ番組に出演しなかった和田も『徹子の部屋』には出演している)。, 通常、書籍のバーコードは裏表紙のカバーに直接印刷されるが、これを嫌い、ISBNの数字のみが表示されたデザインを採り入れている。結果、バーコードは帯に印刷されることが多い。, 映画にも造詣が深く、1984年に角川映画として初監督作品である真田広之主演『麻雀放浪記』を手掛け、小泉今日子主演の『快盗ルビイ』など数作品でメガホンをとった。ちなみに、他分野出身の監督が第一、二作連続でキネマ旬報ベストテン入りを果たしたのは、後にも先にも和田一人である。監督業以外にも『お楽しみはこれからだ』等、映画がテーマのエッセイ集を出している。, 1992年、伯父の山本紫朗に国内レビューの黄金時代を取材した内容をまとめた著書『ビギン・ザ・ビギン』をモチーフに、『日劇物語』を映画化する話がもち上がった。和田が脚本を手掛け、クランク・イン寸前まで進んだが、資金不足のため撮影は中止された[5]。, アニメーション作家としての実績もあり、1960年(昭和35年)に久里洋二・柳原良平・真鍋博が「アニメーション三人の会」を結成し、草月ホールで定期的に上映会を行っていた際に、横尾忠則や手塚治虫等と共に参加し、個人制作の作品を発表した。1961年(昭和36年)NHKで放送開始の『みんなのうた』に参加し、初のアニメ映像作品『誰も知らない』を始め、他9曲の映像を製作した。また、フジテレビ『ゴールデン洋画劇場』のオープニングタイトルを手掛けている。, 初のアニメ作品を手掛けたものの、その映像はわずかしか現存せず、2011年開始の「みんなのうた発掘プロジェクト」でも、音声曲は提供されたが、映像曲は提供されなかった。, 「プロフィルには大阪生まれと書きますので、雑誌の大阪人特集などで取材の依頼を受けることがありますが、たまたま父親の都合で大阪で生まれただけで、親戚もいないし、大阪人という意識はないんです。と言って東京人でもないし、郷土意識が何もありません」と当人は発言している。(『似顔絵物語』p.14), 12年振りの翻訳出版となった3作目の『我輩はカモじゃない』では訳者が田口俊樹に代わり、解説と挿絵を担当。この経緯について解説の中で「カミンスキーは次々書いていたのだが、翻訳を約束していた私がサボっていたのである。(中略)わたしは絵と解説という形で辛うじてシリーズに踏みとどまらせてもらった。」とある。, https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191011/k10012123151000.html, 和田誠さん、83歳で死去 イラストレーター・映画監督(朝日新聞デジタル記事、2019年10月11日), https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=和田誠&oldid=80437203, 「人生の博打でいうと、イラストレーターという職業を選んだことかな?当時はまだそういう言葉はなかったけどね。」, 『ビギン・ザ・ビギン : 日本ショウビジネス楽屋口』 文藝春秋 1982年 のち文庫, 『プライヴェート・ニューヨーク』 和田誠 文・絵/篠山紀信 写真 文芸春秋 1983年, 対談『映画に乾杯 : 歓談・和田誠と11人のゲスト 2』 キネマ旬報社 1985年, 編著『映画とジャズ』 和田誠 ビクター音楽産業 1992年 (ビクターブックス), 童話『かいぞくのうた』 あかね書房 1996年 (あかねピクチャーブックス ; 4), 対談『仕事場対談 : 和田誠と27人のイラストレーター』 河出書房新社 2001年, 画『表紙はうたう : 和田誠・「週刊文春」のカヴァー・イラストレーション』 装幀 文藝春秋 2008年, 童話『ポケットに砂と雪』 絵も フェリシモ 2010年 (おはなしのたからばこ ; 19), 画『Black & White in Wadaland : 和田誠モノクローム作品集』 愛育社 2010年, 『Coloring in Wadaland : 和田誠カラー作品集』 愛育社 2011年, 画『Posters in Wadaland : 和田誠ポスター集』 愛育社 2012年, 『画廊の隅から : 東日本大震災チャリティ・イラストレーション作品集』 講談社 2013年, 画『Book Covers in Wadaland : 和田誠装丁集』 アルテスパブリッシング 2014年, 画『Record Covers in Wadaland : 和田誠レコードジャケット集』 アルテスパブリッシング 2014年, 『村上春樹とイラストレーター -佐々木マキ、大橋歩、和田誠、安西水丸』 村上春樹、, いつか聴いた歌 I've heard that song before (ソング・アンド・ダンス) 和田誠 監修・選曲 2013, いつか聴いた歌 I've heard that song before 2 (ソング・アンド・ダンス) 和田誠 監修・選曲 2014, 和田誠ソングブック The Wada Makoto song book 和田誠 [作曲]、デューク・エイセス、岸洋子 ほか歌 ウルトラ・ヴァイヴ 2015 (TV age).