endstream endobj 305 0 obj <>stream 実行委員会は、中央常任委員会の責任の下、中央委員会から予算の決定を含めた全ての権限を移譲される。ある程度の企画および立案は、学園祭事務局がほぼ企画・立案し実行委員会でその企画意図や立案趣旨、予算などの審議が行われる。学園祭の理念に相応しい企画であるか、学友会費を支弁するに相応しいかなどの視点から幾度も審議が重ねられ、最終的に実施の可否について参加委員の多数決にて結論を出す。, 実行委員会は、学園祭実行委員長、学園祭副実行委員長(衣笠担当)、学園祭副実行委員長(BKC担当)、学園祭副実行委員長(OIC担当)、全学自治会、各学部自治会、学術本部、学芸総部、体育会、新聞社、放送局、応援団、中央事務局といった学友会中央パートにより構成されている。また、オブザーバー・実行委員質問の答弁者として、衣笠学園祭事務局、OIC学園祭事務局、BKC学園祭事務局、中央事務局調査企画部および中央事務局財務部の各担当者の出席が認められている。実行委員長は年度により異なり、中央常任委員長や学園振興委員長、中央事務局長などが務める。各キャンパス内のみで終結する企画については、キャンパス別会議が開かれ、審議が行われる。また形式上、実行委員会の委員メンバーには大学教職員からの委員は入っておらず、大学職員と緊密に連携を取りつつも、ほぼ学生による自治・創造性に任された運営が行われている。, 実行委員会の実務を担う組織として、衣笠学園祭事務局(中央事務局特別事業部衣笠支局)、OIC学園祭事務局(同中央事務局特別事業部OIC支局)およびBKC学園祭事務局(BKC自治会事務局イベント事業部)が設けられる。, 学友会が中心となって運営する立命館大学新歓実行委員会の主催による「新歓祭典」が、例年4月下旬にびわこ・くさつキャンパス (BKC) で1日間開催される。運営体制については、学園祭に準ずるかたちとなる。新入生を歓迎する祭典として、各課外活動団体やサークルによる企画や新歓実行委員会企画、新歓事務局による模擬店、野外ステージ企画など、様々な催しが行われる。, 衣笠・BKC・OIC各キャンパスの全新入生の参加が推奨されており、歓迎の対象となる新入生が自ら小規模演習の各クラスから模擬店を出店することが恒例となっている[41]。, 大学創立当初より、文武両道の精神からスポーツには力を入れていたが、衣笠キャンパスの産業社会学部に「スポーツ学科(スポーツ社会)」が設けられた後、2010年には、びわこ・くさつキャンパスに「スポーツ健康科学部」が設けられたことにより、運動に長けた選手が入学し、アメリカンフットボールや女子駅伝等、大学上げての強化が成功し、各部、実績を上げている。, 立命館大学では文化系のクラブ活動も盛んである。以下に特筆される文化系の部活動の活動実績を記す。, 1939年に初号が発行された学生新聞『立命館』を源流とし、2019年に創刊80周年となった立命館大学新聞社は、上述した学友会の中央事業団体に所属する立命館大学最大の学生メディア団体である。紙媒体の新聞を季節毎に発行するほか、ウェブサイトでニュース配信を積極的に行っており、学生運営でありながら、立命館大学から独立した報道機関として、マスメディアの役割を担っている。, 1982年に設立した立命館大学クイズソサエティーでは、現役生やOB・OGを問わず、同会出身の解答者がテレビのクイズ番組で優秀な成績を残す者も多く存在するなど、極めてレベルの高いクイズクラブであり、私立大学の中ではトップ級のクイズ研究会である。, また、1989年より年に1回、概ね毎年秋に、立命館大学クイズソサエティーの最大のライバルで、また国立大学のクイズ研究会ではトップ級である、名古屋大学のクイズクラブである名古屋大学クイズ研究会との対抗戦「名立戦」[43]が、国立大学と私立大学との壁を超えて開催されている[44]。, 立命館大学将棋研究会も、近年、学生将棋でトップクラスの成績を収めており、多くのアマチュア将棋強豪を輩出している。, 1224年(元仁元年)、西園寺公経が西園寺と北山第(山荘)を建てた。14世紀末、室町幕府第三代将軍・足利義満が、西園寺家から北山第を譲り受けたが、義満の北山第は、西は衣笠山、東は天神川、南は衣笠総門町辺りまで含む広大な敷地であった。北山第が足利義満に譲られた後、西園寺家は再び近くに邸宅を構え、それは15世紀半ばまで衣笠山南麓に存在したとされる。1939年(昭和14年)、立命館大学が現在の衣笠キャンパスの開発に着手したところ、地下約90センチメートル(三尺)の位置から約300年前のものと思われる多数の屋根瓦片が発掘され、屋根瓦には西園寺家の紋章が確認された[45]。さらなる調査の結果、太政大臣・西園寺公経邸のものと推定されるに至ったことから、現在の衣笠キャンパス一帯には、西園寺家の邸宅が建っていたと考えられている[46][47][48][49]。, 幕末の頃、現在の「衣笠キャンパス」およびその周辺には薩摩藩の藩兵調練場(小松原調練場)、弾薬庫、陣屋、勤番屋敷などを置く広大な緑地が広がっていた[50][51]。明治維新の「鳥羽・伏見の戦い」では、この調練場の弾薬庫から大量の弾薬等が運び出されたと記録されている[52]。, 1939年(昭和14年)、満州国皇帝の愛新覚羅溥儀[53]が立命館に寄付した約50万円のうち20万円で衣笠山の麓に6万坪の土地を購入し、理工系学科の学舎を建設したのが現在の「衣笠キャンパス」の始まりである。この寄付金の残額で学生向けの奨学金の基金も創設された[16][54][55]。, 等持院に隣接していることから、かつては「等持院学舎」と呼ばれていた。昭和20年代にはプロ野球「松竹ロビンス」が本拠としていた衣笠球場が現在の中央広場付近にあり、1954年まで「洋松ロビンス」の準本拠地球場として使用されていた[56]。, 設立当初より文系学部を「広小路学舎(中京区)」に、理工系学部を「等持院学舎(現・衣笠)」に置くという棲み分けがなされていた。戦後、急速に増え続ける入学志願者に対応すべく、京都市右京区西院方面に約6万坪の土地を購入し教養部を移転させるという「緑の学園」構想が持ち上がった[57]。この構想は1957年(昭和32年)12月10日の学校法人立命館理事会で「現状では広小路、等持院を中心に充実をはかるべきである」という結論に達したため実現こそしなかったが、文系理系全学部を「衣笠キャンパス」に集約させるというその後の「衣笠一拠点政策」の契機となった。衣笠一拠点化は、1981年(昭和56年)に実現している。しかし、更なる学園拡大の流れにより、衣笠キャンパスでは手狭となったことから衣笠一拠点化は10年程度で終息し、複数キャンパス体制になっている。, 現在の「衣笠キャンパス」周辺は、金閣寺、龍安寺、仁和寺、等持院などが点在する京都屈指の観光名所として知られる。キャンパス北側にはこれら名刹を結ぶ観光道路「きぬかけの路」が通る。中でも隣接する等持院の墓地には、室町幕府将軍の足利尊氏、足利義量および足利義勝、映画監督の牧野省三や衣笠貞之助、画家の山元春挙、木島桜谷、役者の尾上松之助、学園創立者である中川小十郎が眠っている[58]。, 衣笠キャンパスから北へ徒歩10分程度、金閣寺西部には西園寺記念館がある。飛び地の形で立地しているため「氷室キャンパス」と俗称で呼ばれることがあるが、これは公式なものではなく、衣笠キャンパスの一部である。付近一帯は1224年(元仁元年)に藤原公経が「西園寺」を建立した場所で、寺は西園寺家の家名の由来とされていることから立命館学園とはとりわけ縁の深い場所である。, BKC(びわこ・くさつキャンパス)と並べる必要がある際は、KIC(読み:キック)と略されることがある。, 2020年8月25日、映像学部と映像学研究科が、2024年4月より大阪いばらきキャンパスへ移転することが発表された[59]。, 明治二年(一八六九)秋九月、私邸に『立命館』を創始した西園寺公望は、長期にわたる海外生活の経験から国際感覚に優れ、先見性に富み、近代日本の政局に深くかかわってきた。ことに思想の自由と社会の平等を尊び、常に「世界の中の日本」を主張してやまなかった。, かかる学祖の思想は、本学の建学思想として教学理念の根底をなし、今日に至るまで脈々と受け継がれている。, 昭和六三年(一九八八)春三月、西園寺家の発祥地である北山殿の址、すなわち現鹿苑寺(金閣寺)の傍に、国際社会に活躍しうる人材を養成するため、新に学舎を建設し、『西園寺記念館』と名付けることにした。ここに掲げる『禮記』から引用された墨蹟は、学祖が大正四年(一九一五)須磨逗留の折に作られており、学を志す人々に学問の深さを諭したものである。, 新しい学舎において真理を探究し、幅広い教養をもち、調和のとれた国際人を目指して自己研磨に励む諸君に、このことばを送りたい。立命館総長 大学長 谷岡武雄, 2006年9月開設。京都法政学校創設者である中川小十郎の姓を冠した中川会館の一棟で構成され、大学本部(学校法人立命館の本部機能も担う)も衣笠キャンパスの旧中川会館から移転した。平安京の朱雀大路に当たる千本通に面し、付近に朱雀院跡があること、朱雀第一学区に立地することが、キャンパス名の由来である。, 学校法人立命館が、学園全体の総合的な連携を機能的かつ高度に遂行できる施設を目的に計画して建設した建物で、学園学校法人本部、校友会本部、大学院(法務研究科、教職研究科)、が入居している。, 中川会館の名称は、立命館大学の前身「京都法政学校」を創立した中川小十郎に由来する。現在の中川会館は3代目で、初代中川会館は、1936年(昭和11年)に学園創立35周年と中川小十郎の長寿を記念して当時の広小路学舎に建設されたものである。1979年(昭和54年)には、広小路学舎から衣笠キャンパスへの大学全面移転事業に伴い、2代目の中川会館が衣笠キャンパスに竣工された。2代目会館は、2006年(平成18年)9月まで主に学園本部機能を担う管理棟として利用されていたが、今回の3代目中川会館の竣工でその役割を終えた。現在、2代目中川会館は「至徳館」と名称を変更し、キャンパスインフォメーションセンター、会議室、生協購買部などが入る複合施設として機能している。, 近代京都建築を手本に設計され、外壁には輸入英国製煉瓦、屋根部分は緑青銅版、白壁部分はテラコッタ、建物土台部分には御影石が使用されている。また建物正面(東側)と裏側(西側)の壁部分には、白いデザイン陶板が貼られている。陶板のデザインは、建物正面側が立命館の校章が、建物裏側には「Rits(立命館シンボルマーク:商標登録番号:4393342および4393343)」が彫刻されている。, 会館正面(千本通側)の建物左上部には、学園コミュニケーションマーク「R」のロゴが2008年4月より掲示されている。それ以前はシンボルマーク「Rits」が掲示されていたが改修された。, 会館南東部の屋上には、会館のシンボルとして「塔屋」が設けられている。塔の四面には、工芸ガラスを利用してデザインされた四神の図柄がはめ込まれており、北面に玄武、南面に朱雀、東面に青龍、西面に白虎が描かれ、夜にはこれらがライトアップされる。, 1階正面玄関を入ると、創立者・中川小十郎の胸像に迎えられる。胸像の背後には、創立以来立命館学園を援助するとともに、学園の精神と名称を与えたことなどから学園の「学祖」として敬仰される西園寺公望公が揮毫した「立命館」の扁額のレプリカが掲げられている。現在、オリジナルの扁額は総長室に飾られているが、これは1905年(明治38年)、京都法政学校が「立命館」の名称を継承することを許した西園寺公望から寄贈されたもので、「立命館」の三文字が力強く書かれている。, 1階正面奥には「メモリアルホール」と呼ばれる空間があり、立命館学園の発展の歴史を伝えるパネルや映像を見ることができる。ホールには、学祖・西園寺公望の石膏像(直径約41センチ)も飾られている。これは、彫刻家・武石弘三郎が大正時代に手がけた西園寺公望の銅像をもとに複製されたものである。この銅像のオリジナルはもともと神田駿河台(東京都千代田区)の西園寺邸にあったが、関東大震災で破損してしまったものである。その後西園寺側近が破片から復元したものが静岡県清水市の清見寺で保管されていたことが判明。立命館がこれをもとに再度複製したものである。西園寺は自身の銅像・彫刻を残すことを嫌ったため[69]、完全な立体像としては清見寺のものを除き、これ以外に残っていないとされる。なお、衣笠キャンパス西園寺記念館の1階ホールにも、杉村尚が作製した西園寺のレリーフ塑像が飾られてあるが、これはほぼ平面に近い。, 4階、5階部には全472席の大ホールがあり、シンポジウムやイベントに利用されている。, 初代中川会館は、1935年に立命館学園創立35周年と学園創設者・中川小十郎の長寿を祝って広小路校地に建設された。もともと立命館大学校友会評議員会は、盛大な記念祝賀会や中川小十郎の銅像建設などを予定していた。これを知った中川から、銅像建設や祝賀会に資金を回すより、学園の施設を充実してほしいと要望があり、1935年1月12日の校友大会で「中川会館」の建設が決定された。中川会館の建設費用は寄付金によって賄われ、教職員、学生・生徒、学園縁故者の協力で総額73,970円81銭[70]が集まった。会館は1936年5月に着工され、同年12月13日に竣工。鉄筋三階建で陸屋根造り、モルタル吹き付けの白亜の外壁に、腰は人造石洗出で仕上げられた。建坪は85坪・280m2(延300坪・990m2)[70]で、地階は学生控室・食堂にあてられ、存心館に通じる地下通路があった。1階部分は出版部、職員室、学生研究室、2階は学長室、法学部研究室、文学科研究室、予科研究室、高等商業科研究室、3階は総長公室、校友集会室、特別講義室、応接室にあてられた。記念室には久邇宮邦彦王殿下から中川総長に下賜された自作の詩の御書と銅製花瓶、西園寺公望から寄贈された書、白川義則大将寄贈による「天壌無窮」の銘がある花瓶、総長が明治天皇御聖像に奉献された靖広作の神剣や師の御霊が陳列された。このほか尾竹竹坡画伯の風俗画、大理石でできた西園寺公の肖像などが飾られていた。竣工式前日に西園寺公望から送られた南天と山梔子各30株が会館玄関脇などに植樹された。, 二代目の中川会館は、1979年に衣笠キャンパスに竣工。同年、広小路校地から学園本部が移転した。地上4階、地下1階建で延面積は6,079.13m2[71]。総長室や学園本部などが入る学園管理棟として機能した。地階には生協購買部が入居していた。2006年、朱雀キャンパスに新・中川会館が完成すると同時に学園本部機能が移転し、旧中川会館は映像学部の講義などに利用されていた。その後、名称を「至徳館」と変更し、現在に至っている。, 滋賀県が整備を進める「びわこ文化公園都市」の一角に、1994年に開設されたキャンパス。愛称は"BKC"。延面積611,078.32m2[71]の敷地は、滋賀県から無償で提供された。キャンパス内に設置されたクインススタジアムという陸上競技場の地下には木瓜原遺跡が完全保存されている。なお、クインス (quince) とは瓜のことで、木瓜原という遺跡の名称から採られた。びわこ・くさつキャンパスの西隣には、広さ延面積は45,590m2[71]の運動施設「BKCグリーンフィールド」がある。3階建てのクラブハウス、全面人工芝のラグビー競技場、アメリカンフットボール専用グラウンドなどがある。, 近江鉄道バスが乗り入れており、大津営業所運営路線のうち立命館大学バス停を停車バス停に持つ全路線では近江鉄道発行ののIC乗車券が使用出来る。(IC乗車券は、近江鉄道発行のIC乗車券のみ対応。交通系ICには現時点では対応していないが、2021年3月の導入を予定している[72]。)また草津田上インターチェンジに隣接する利便性から、びわこ・くさつキャンパスとJR琵琶湖線南草津駅を結ぶ直通短距離高速バスが近江鉄道バスにより、同キャンパスと京阪本線中書島駅を結ぶ直通短距離路線バス「立命館大学 (BKC) 線」が京都京阪バスにより(立命館では「高速バス」としている。かつては京阪京都交通も運行)運行されている。また、かつては同キャンパスと飛島グリーンヒルを経由して近鉄京都線・京都市営地下鉄烏丸線竹田駅および京都駅を結ぶ高速バス「MKハートシャトル」がエムケイ観光バス(MKグループ)により運行されていた。, 2004年にはBKCの開学10周年と産業社会学部創立40周年、および倉木麻衣の歌手活動5周年を記念して産業社会学部の4回生、倉木麻衣による「Rits倉木麻衣メモリアルライブ2004」が行われ、約2万5000人を集めた。, 2020年8月25日、情報理工学部と情報理工学研究科が、2024年4月より大阪いばらきキャンパスへ移転することが発表された[59]。, セントラルアーク(英語表記:CENTRAL ARC)は、学生交流施設。2005年2月竣工。竣工式は2005年3月23日。, 学生の学びと成長を促進する施設として「交流」「伸長」「発信」をテーマに設定しており、ドリームクロスラウンジ、ステージ、サテライトブース、表現のジャングルジム、アカデミックワークショップ、作業ラボ、作業テラス、コンセプトルーム、プレゼンテーションスペース、ミーティングルーム、練習ブース、セントラルアクトオフィス(BKC自治会)、学生オフィス、スポーツ強化センターなどがある。また、セントラルアークの2階には、国際交流や言語学習を中心としたグローバルコモンズとしてBeyond Borders Plaza(BBP)が設置されている。, 2000年12月6日に開催された「第2回BKC自治会代表委員会総会」にて、コンセプトを高度化した「学生交流施設」の建設を短中期的課題として要望する決議をしたのが建設議論の始まり[74]。, 「学生交流施設」とは、既存の学生会館とは違う、正課・課外を問わない学生の交流の場を目指した新しいコンセプトの施設をイメージして名づけられた。, 2001年には要望が具体化され、2003年度には学生署名約1万2000筆が集まった。これを受けて、2003年10月8日の立命館大学全学協議会にて建設が正式に決定した。, 大学の中心(セントラル)に建つ、弧(アーク)型の建物であることに由来する[76]。, 2008年6月20日、サンドイッチ・チェーン「サブウェイ」が1階にオープンしたが、2016年度中に閉店した。, エポック立命21(えぽっくりつめいつーわん、英語表記:EPOCH RITSUMEI 21)は、多機能型セミナーハウス。着工は2000年8月1日で、竣工は2001年4月30日。, 鉄筋コンクリート造地上4階建(一部鉄骨・鉄骨鉄筋コンクリート造)。建築面積2,388.51m2、延床面積6,851.70m2[77]。延面積6,019.92m2[71]。, 会議室、宿泊室、父母教育後援会記念エポックホール、交流室、スポーツハウス、茶室(蓬窓庵)、屋上庭園、ミーティングルーム、食堂などがある。また2014年3月22日まで、琵琶湖ホテルが運営するフレンチレストラン「EPOCHラウンジ」が、学生・教職員の他、一般客にも開放されていた[78]。, セミナーハウス機能を持つ施設の建設は、びわこ・くさつキャンパス開設当初の1994年より学生がその必要性を挙げていた。1999年には学生による大規模な運動が行われたこともあり、建設を求める声が高まりを見せ、1999年秋に行われた建設を求める学生署名には実質7日間で9663筆が集まった。これを受け、1999年10月6日に開催された全学協議会では、全学的な議論を経て建設が正式に決定された。, 建設にあたっては、設計当初より大学側と学生の代表であるBKC自治会との議論を重ねられ、当初の宿泊機能に加えてホール、茶室、スポーツハウスなど、当初計画に含まれていなかった機能が備えられることとなり、学生の声が取り入れられる形での建設となった。, 名称は、立命館大学そしてBKCの新しい時代 ― EPOCH ― を創造する一歩として、5つのコンセプト、Exchange(交流)・Personality(個性)・Oasis(いこい)・Co-learning(学びあい)・Humanity(人間らしさ)を追求できる新時代のセミナーハウスを目指して、当時経営学部3回生の庄山由多加が名づけた[79]。, 2010年8月27日、大阪府茨木市岩倉町1番地のサッポロビール大阪工場跡地に新キャンパスをつくる構想があると報道された[80]。その後構想があることを認め[81]、2010年11月12日に学校法人立命館が同用地の取得と新キャンパス開設することを理事会で決定したと公式に発表した[82]。, 新キャンパスの面積は12万1,891平方メートルで、2015年4月に開設された。キャンパスの名称は大阪いばらきキャンパスとなり、略称は「OIC」である。, 2018年6月18日、大阪府北部地震で被災し、復旧までの約1週間立ち入り禁止となり、同キャンパスでの授業は休講となった[83]。, 2020年8月25日、びわこ・くさつキャンパスから情報理工学部と情報理工学研究科が、衣笠キャンパスから映像学部と映像学研究科が、それぞれ2024年4月に移転することが発表された。, 広小路学舎は京都法政学校設立当初の1901年(明治34年)に設置された京都市上京区広小路通河原町西入にあったキャンパス。当初の敷地面積は2,200m2[84]で、衣笠キャンパスに全面移転する1981年(昭和56年)頃の総面積は40,000m2[84]であった。校舎の一部(尽心館、存心館、養性館)は『孟子』尽心篇・首章の次の一文に拠って命名された。選者は立命館長・中川小十郎の委託を受けた講師の鷹取田一郎であった[70]。, 全盛期には学園本部のほか、法学部、経済学部、文学部、経営学部、産業社会学部と各二部と各研究科が置かれたが、キャンパス狭隘化のため、学園の拡大政策のもと衣笠キャンパスへの全学統合が計画された。, 1965年(昭和40年)の経済・経営両学部移転を皮切りに順次各学部や研究科が移転し、1981年(昭和56年)には最後に残った法学部が移転し全学が衣笠に移転完了し、「広小路学舎閉校祭典」が開催された。広小路学舎は、1981年(昭和56年)3月末日をもって「京都府土地開発公社」に売却された。現在跡地には「立命館学園発祥の地」記念碑が建っている。「広小路学舎閉校祭典」で当時の総長・天野和夫は次のように挨拶している。, 短期留学生用の学生寮が「衣笠キャンパス」近くに2棟ある[93]。主に中長期留学生用の学生寮が「びわこくさつキャンパス」隣接地に1棟ある[94]。短期留学生用の寮は、すべて一人部屋(ベッド・デスク備え付け)で、トイレ・バス完備。インターネット対応。共用のキッチン、ラウンジルーム、洗濯機・乾燥機、コンピュータールームなどを備える。約20の国、地域から集まる留学生が、BUDDY(バディ)と呼ばれる日本人学生ヘルパー、学校教員らとともに居住している。, 立命館大学は、合計11の学寮を持っていた。その後、入寮希望者の減少に歯止めがかからず、1987年(昭和62年)に学寮の全廃を決定。1991年(平成3年)3月をもって全廃された[9], [96]。, 2007年に立命館大学は、同学および立命館アジア太平洋大学の入試情報提供等のサービスを行う拠点として、「立命館プラザ」を設置した。地元京都や近畿地方だけでなく、全国規模で入試情報等を提供することが目的。同じ関西でも京都からやや遠い京都市のほか九州(福岡市)、東海地方(名古屋市)、北海道札幌市の4都市に設けられている。, 2009年3月26日には、衣笠キャンパスの至徳館2階に「立命館プラザ京都」が、また2011年6月1日には、びわこ・くさつキャンパスの「キャンパスインフォメーション・キャノピー」に「立命館プラザBKC」も設置された。, 学校法人立命館 学園一貫教育推進本部により小・中・高は附属校に位置づけられている。また、立命館高等学校は「1905年9月京都法政大学の附属校として清和普通学校を設立」と明記している。, 法学部 | 文学部 | 映像学部 | 産業社会学部 | 国際関係学部 | 経営学部 | 政策科学部 | 総合心理学部 | グローバル教養学部 | 経済学部 | 理工学部 | 情報理工学部 | 生命科学部 | 薬学部 | スポーツ健康科学部 | 食マネジメント学部, 立命館中学校・高等学校 | 立命館宇治中学校・高等学校 | 立命館慶祥中学校・高等学校 | 立命館守山中学校・高等学校, 宇治高等専修学校 | 立命館日満高等工科学校 | 立命館工業学校 | 立命館商業学校, 私塾立命館 | 京都法学校 | 京都法政学校 | 東方語学校 | 禁衛隊 | 日本刀鍛錬所 | 国防学研究所 | 荒神橋事件, 硬式野球部 | サッカー部 | ラグビー部 | 男子バスケットボール部 | パンサーズ(アメリカンフットボール部), 末川記念会館 | ローム記念館 | 国際平和ミュージアム | サステイナビリティ学研究センター, クレオテック | わだつみ像 | 広小路学舎 | 衣笠球場 | 同立戦 | 関立戦, 東北大学 | 筑波大学 | 東京大学 | 名古屋大学 | 京都大学 | 大阪大学 | 九州大学, 慶應義塾大学 | 上智大学 | 明治大学 | 早稲田大学 | 同志社大学 | 立命館大学, 北海道大学 | 東北大学 | 筑波大学 | 東京大学 | 東京医科歯科大学 | 東京工業大学 | 名古屋大学 | 京都大学 | 大阪大学 | 広島大学 | 九州大学 | 慶應義塾大学 | 早稲田大学, 千葉大学 | 東京外国語大学 | 東京芸術大学 | 長岡技術科学大学 | 金沢大学 | 豊橋技術科学大学 | 京都工芸繊維大学 | 奈良先端科学技術大学院大学 | 岡山大学 | 熊本大学 | 国際教養大学 | 会津大学 | 国際基督教大学 | 芝浦工業大学 | 上智大学 | 東洋大学 | 法政大学 | 明治大学 | 立教大学 | 創価大学 | 国際大学 | 立命館大学 | 関西学院大学 | 立命館アジア太平洋大学, 長浜バイオ大学 | 滋賀文教短期大学 | 滋賀大学 | 滋賀県立大学 | 聖泉大学 | びわこ学院大学 | びわこ学院大学短期大学部 | 立命館大学(びわこ・くさつキャンパス) | 滋賀医科大学 | 龍谷大学(瀬田校舎) | 滋賀短期大学 | 成安造形大学 | びわこ成蹊スポーツ大学 | 放送大学(滋賀学習センター), 大阪大学 | 神戸大学 | 東京都立大学 | 東京農工大学 | 東北大学 | 名古屋大学 | 明治大学 | 早稲田大学, 大阪府立大学 | お茶の水女子大学 | 香川大学 | 九州大学 | 京都大学 | 熊本大学 | 慶應義塾大学 | 上智大学 | 西南学院大学 | 総合研究大学院大学 | 中央大学 | 筑波大学 | 東京工業大学 | 東京理科大学 | 同志社大学 | 長岡技術科学大学 | 日本大学 | 一橋大学 | 法政大学 | 北陸先端科学技術大学院大学 | 北海道大学 | 横浜国立大学 | 立教大学 | 立命館大学 | 琉球大学, 人文社会系研究科 | 教育学研究科 | 経済学研究科 | 総合文化研究科 | 理学系研究科 | 工学系研究科 | 農学生命科学研究科 | 医学系研究科 | 薬学系研究科 | 数理科学研究科 | 新領域創成科学研究科 | 情報理工学系研究科 | 学際情報学府, エックス・マルセイユ第1大学 | エックス・マルセイユ第2大学 | エックス・マルセイユ第3大学 | ブサンソン大学 | ブレーズ・パスカル大学 | ボルドー第1大学 | ボルドー第2大学 | ボルドー第3大学 | ボルドー第4大学 | セルジー・ポントワーズ大学 | サヴォア大学 | 社会科学高等研究院 | フランス国立高等研究院 | カシャン高等師範学校 | リヨン高等師範学校 | ユルム高等師範学校 | グルノーブル第1大学 | パリ政治学院 | 国立東洋言語文化学院 | 国立グルノーブル理工科学院 | 国立トゥールーズ理工科学院 | リール第1大学 | リヨン第1大学 | リヨン第2大学 | リヨン第3大学 | マルヌ・ラ・ヴァレ大学 | メッス大学 | モンペリエ第2大学 | ミュルーズ大学 | ナント大学 | パリ第1大学 | パリ第2大学 | パリ第3大学 | パリ第4大学 | パリ第5大学 | パリ第6大学 | パリ第7大学 | パリ第8大学 | パリ第9大学 | パリ第10大学 | パリ第11大学 | パリ第12大学 | パリ第13大学 | ポー大学 | レンヌ第1大学 | レンヌ第2大学 | ストラスブール第1大学 | ストラスブール第2大学 | ストラスブール第3大学 | トゥールーズ第1大学 | トゥールーズ第2大学 | トゥールーズ第3大学 | トゥール大学 | ヴェルサイユ・サン・カンタン大学, 青山学院大学 | 神奈川大学 | 慶應義塾大学 | 工学院大学 | 芝浦工業大学 | 東京都立大学 | 創価大学 | 多摩美術大学 | 筑波大学 | 帝京大学 | 電気通信大学 | 東海大学 | 東京学芸大学 | 東京工業大学 | 東京大学 | 東京電機大学 | 東京都市大学 | 東京農工大学 | 東京理科大学 | 都立産業高専 | 日本大学 | 早稲田大学, 大阪工業大学 | 大阪府立大学 | 京都大学 | 神戸大学 | 立命館大学 | 和歌山大学, 鳥取大学 | 福山大学 | 安田女子大学 | 山口大学 | 香川高専 | 香川大学 | 高知工科大学 | 徳島大学, 北海道大学・大学院教育学院 | 札幌学院大学大学院・臨床心理学研究科 | 札幌国際大学大学院・心理学研究科 | 北翔大学大学院・人間福祉学研究科 | 北星学園大学大学院・社会福祉学研究科 | 北海道医療大学大学院・心理科学研究科, 東北大学大学院・教育学研究科 | 尚絅学院大学大学院・総合人間科学研究科 | 東北福祉大学大学院・総合福祉学研究科, 福島大学大学院・人間発達文化研究科 | 福島学院大学大学院・心理学研究科 | 医療創生大学大学院・人文学研究科, 筑波大学大学院・人間総合科学研究科 | 茨城大学大学院・教育学研究科 | 常磐大学大学院・人間科学研究科, 埼玉工業大学大学院・人間社会研究科 | 跡見学園女子大学大学院・人文科学研究科 | 埼玉学園大学大学院・心理学研究科 | 駿河台大学大学院・心理学研究科 | 人間総合科学大学大学院・人間総合科学研究科 | 文京学院大学大学院・人間学研究科 | 文教大学大学院・人間科学研究科 | 東京国際大学大学院・臨床心理学研究科 | 立教大学大学院・現代心理学研究科 | 早稲田大学大学院・人間科学研究科, 東京大学大学院・教育学研究科 | お茶の水女子大学大学院・人間文化創成科学研究科 | 青山学院大学大学院・教育人間科学研究科 | 桜美林大学大学院・心理学研究科 | 大妻女子大学大学院・人間文化研究科 | 学習院大学大学院・人文科学研究科 | 国際医療福祉大学大学院・医療福祉学研究科 | 駒澤大学大学院・人文科学研究科 | 駒沢女子大学大学院・人文科学研究科 | 聖心女子大学大学院・文学研究科 | 白百合女子大学大学院・文学研究科 | 昭和女子大学大学院・生活機構研究科 | 上智大学大学院・総合人間科学研究科 | 創価大学大学院・文学研究科 | 大正大学大学院・人間学研究科 | 帝京大学大学院・文学研究科 | 東京家政大学大学院・人間生活学総合研究科 | 東京女子大学大学院・人間科学研究科 | 東京成徳大学大学院・心理学研究科 | 東洋英和女学院大学大学院・人間科学研究科 | 日本大学大学院・文学研究科 | 法政大学大学院・人間社会研究科 | 武蔵野大学大学院・人間社会研究科 | 明治大学大学院・文学研究科 | 明治学院大学大学院・心理学研究科 | 明星大学大学院・人文学研究科 | 目白大学大学院・心理学研究科 | 立正大学大学院・心理学研究科 | ルーテル学院大学大学院・総合人間学研究科, 川村学園女子大学大学院・人文科学研究科 | 淑徳大学大学院・総合福祉研究科 | 聖徳大学大学院・臨床心理学研究科, 横浜国立大学大学院・教育学研究科 | 神奈川大学大学院・人間科学研究科 | 北里大学大学院・医療系研究科 | 専修大学大学院・文学研究科 | 東海大学大学院・文学研究科 | 日本女子大学大学院・人間社会研究科, 名古屋大学大学院・教育発達科学研究科 | 愛知教育大学大学院・教育学研究科 | 愛知学院大学大学院・心身科学研究科 | 愛知淑徳大学大学院・心理医療科学研究科 | 金城学院大学大学院・人間生活学研究科 | 椙山女学園大学大学院・人間関係学研究科 | 中京大学大学院・心理学研究科 | 同朋大学大学院・人間福祉研究科 | 日本福祉大学大学院・社会福祉学研究科 | 人間環境大学大学院・人間環境学研究科, 京都大学大学院・教育学研究科 | 京都教育大学大学院・教育学研究科 | 京都先端科学大学大学院・人間文化研究科 | 京都光華女子大学大学院・心理学研究科 | 京都女子大学大学院・発達教育学研究科 | 京都橘大学大学院・健康科学研究科 | 京都文教大学大学院・臨床心理学研究科 | 京都ノートルダム女子大学大学院・心理学研究科 | 同志社大学大学院・心理学研究科 | 花園大学大学院・社会福祉学研究科 | 佛教大学大学院・教育学研究科 | 立命館大学大学院・応用人間科学研究科 | 龍谷大学大学院・文学研究科, 大阪大学大学院・人間科学研究科 | 大阪府立大学大学院・人間社会学研究科 | 大阪市立大学大学院・生活科学研究科 | 大阪経済大学大学院・人間科学研究科 | 大阪樟蔭女子大学大学院・人間科学研究科 | 追手門学院大学大学院・心理学研究科 | 関西福祉科学大学大学院・社会福祉学研究科 | 近畿大学大学院・総合文化研究科 | 梅花女子大学大学院・現代人間学研究科, 神戸大学大学院・人間発達環境学研究科 | 兵庫教育大学大学院・学校教育研究科 | 関西国際大学大学院・人間行動学研究科 | 甲子園大学大学院・心理学研究科 | 甲南大学大学院・人文科学研究科 | 甲南女子大学大学院・人文科学総合研究科 | 神戸学院大学大学院・人間文化学研究科 | 神戸女学院大学大学院・人間科学研究科 | 神戸松蔭女子学院大学大学院・文学研究科 | 神戸親和女子大学大学院・文学研究科 | 武庫川女子大学大学院・文学研究科, 奈良女子大学大学院・人間文化研究科 | 帝塚山大学大学院・心理科学研究科 | 天理大学大学院・臨床人間学研究科 | 奈良大学大学院・社会学研究科, 岡山大学大学院・教育学研究科 | 川崎医療福祉大学大学院・医療福祉学研究科 | 吉備国際大学大学院・心理学研究科 | 就実大学大学院・教育学研究科 | ノートルダム清心女子大学大学院・人間生活学研究科, 広島大学大学院・教育学研究科 | 比治山大学大学院・現代文化研究科 | 広島文教大学大学院・人間科学研究科 | 安田女子大学大学院・文学研究科, 山口大学大学院・教育学研究科 | 宇部フロンティア大学大学院・人間科学研究科 | 東亜大学大学院・総合学術研究科, 徳島大学大学院・総合科学教育部 | 鳴門教育大学大学院・学校教育研究科 | 徳島文理大学大学院・人間生活学研究科, 九州大学 大学院・人間環境学府 | 福岡教育大学大学院・教育学研究科 | 福岡県立大学大学院・人間社会学研究科 | 九州産業大学大学院・国際文化研究科 | 久留米大学大学院・心理学研究科 | 福岡大学大学院・人文科学研究科 | 西南学院大学大学院・人間科学研究科 | 福岡女学院大学大学院・人文科学研究科, 北海道教育大学大学院 教育学研究科 | 東京学芸大学大学院 教育学研究科 | 新潟大学大学院 教育学研究科 | 熊本大学大学院 教育学研究科 | 琉球大学大学院 教育学研究科 | 岩手県立大学大学院 社会福祉学研究科 | 東京都立大学大学院 人文科学研究科 | 中央大学大学院 文学研究科 | 放送大学大学院 文化科学研究科, 九州大学 大学院人間環境学府 | 鹿児島大学大学院 臨床心理学研究科 広島国際大学大学院 心理科学研究科 | 帝塚山学院大学大学院 人間科学研究科 | 関西大学大学院 心理学研究科 | 帝京平成大学大学院 臨床心理学研究科, 国際武道大学 | 了徳寺大学 | 順天堂大学 | 早稲田大学 | 大東文化大学 | 国士舘大学 | 法政大学 | 昭和女子大学 | 帝京大学 | 國學院大學 | 東海大学, 東海学園大学 | 愛知学院大学 | 中京大学 | 名古屋学院大学 | 常葉大学 | 新潟医療福祉大学 | 松本大学, 大阪体育大学 | 大阪大谷大学 | 大阪産業大学 | 園田学園女子大学 | 兵庫大学 | びわこ成蹊スポーツ大学 | 立命館大学, 川崎医療福祉大学 | 倉敷芸術科学大学 | 愛媛大学 | 環太平洋大学 | 吉備国際大学 | 徳島大学, 福岡大学 | 鹿屋体育大学 | 名桜大学 | 九州共立大学 | 九州保健福祉大学 | 熊本学園大学 | 九州看護福祉大学, 愛媛大学 | 熊本大学 | 長岡技術科学大学 | 室蘭工業大学 | 香川大学 | 埼玉大学 | 兵庫県立大学 | 山口大学 | 九州工業大学 | 豊橋技術科学大学 | 福井大学, 岡山理科大学 | 上智大学 | 東京工科大学 | 明治大学 | 近畿大学 | 拓殖大学 | 東京電機大学 | 立命館大学 | 芝浦工業大学 | 東海大学 | 東京理科大学, 筑波大学 | 文星芸術大学 | 尚美学園大学 | 東邦音楽大学 | 東京芸術大学 | 武蔵野音楽大学 | 上野学園大学 | 国立音楽大学 | 女子美術大学 | 多摩美術大学 | 東京音楽大学 | 東京工芸大学 | 東京造形大学 | 日本大学(芸術学部) | 桐朋学園大学 | 文化学園大学 | 武蔵野美術大学 | 昭和音楽大学 | 洗足学園音楽大学 | 東海大学大学院(芸術学研究科) | 横浜美術大学 | 聖徳大学 | 杉野服飾大学 | 和光大学(表現学部) | 女子美術大学短期大学部 | 東邦音楽短期大学 | 桐朋学園芸術短期大学 | 文化学園大学短期大学部, 長岡造形大学 | 金沢美術工芸大学 | 常葉大学(造形学部) | 愛知県立芸術大学 | 名古屋市立大学(芸術工学部) | 名古屋音楽大学 | 名古屋芸術大学 | 静岡文化芸術大学 | 名古屋造形大学 | 金城大学短期大学部, 京都市立芸術大学 | 京都精華大学 | 京都美術工芸大学 | 京都工芸繊維大学 | 立命館大学(映像学部) | 大阪成蹊大学 | 大手前大学 | 神戸芸術工科大学 | 宝塚大学, 佐賀大学(芸術地域デザイン学部) | 平成音楽大学 | 沖縄県立芸術大学 | 九州産業大学造形短期大学部 | 大分県立芸術文化短期大学, 東京法学社⇒東京法学校⇒和仏法律学校(現法政大学)明治法律学校(現明治大学)関西法律学校(現関西大学)東京仏学校(東京法学校と統合し和仏法律学校へ)京都法学校(京都法政学校に吸収), 専修学校(現専修大学、ただし法律科は1893年に生徒募集を停止したため、法学部との連続性はない)東京専門学校(現早稲田大学)英吉利法律学校⇒東京法学院(現中央大学)慶應義塾大学部(現慶應義塾大学)同志社政法学校(廃止), 私立法律学校特別監督条規 - 特別認可学校規則 - 司法省指定学校 - 民法典論争 - 専門学校令, 商法講習所⇒東京商業学校⇒高等商業学校⇒東京高商⇒東京商科大学⇒東京産業大学⇒東京商科大学神戸高商⇒神戸商業大学⇒神戸経済大学, 私立・府立大阪商業講習所⇒府立・市立大阪商業学校⇒市立大阪高商⇒大阪市立高商⇒大阪商科大学, (山口高校から転換⇒)山口高商 / 長崎高商(⇒長崎工経専を併設)(1905年)小樽高商(1910年) / 名古屋高商(⇒名古屋工経専を併設)(1920年) / 福島高商 / 大分高商(1921年)彦根高商(⇒彦根工専に転換⇒彦根経専に復帰) / 和歌山高商(⇒和歌山工専に転換⇒和歌山経専に復帰)(1922年)横浜高商(⇒横浜工経専を併設) / 高松高商(1923年) / 高岡高商(⇒高岡工専に転換)(1924年), 東洋商専(1903年・1908年廃止) / 高千穂高商(1912年)明治学院高商部(⇒青山学院・関東学院両高商部を統合)(1917年) / 東北学院商科(1918年)大倉高商(1920年) / 西南学院商科(1921年) / 松山高商(1923年)関東学院高商部(⇒明治学院へ統合) / 青山学院高商部(⇒明治学院へ統合)(1927年)巣鴨高商 / 女子経専(1928年) / 日本女子高商(1929年) / 同志社高商(1930年)鹿児島高商(1932年) / 浪華高商(⇒昭和高商として再設立⇒大阪女子経専を併設)(1932年)福岡高商(1934年) / 関西学院高商(1935年) / 善隣高商(⇒外専に転換)(1939年 - 1944年)甲陽高商(⇒甲陽工専に転換)(1940年) / 福知山高商(⇒松山経専に統合・福知山工専に転換)(1941年)日本経専(1946年), 京城高商(1907年・1922年官立移管) / 大連高商(1936年・1941年官立移管)(普成専門学校から転換⇒)京城拓殖経専 / (延禧専門学校から転換⇒)京城工経専 / (北京興亜学院から転換⇒)北京経専(1944年), 東京商大附属商専(⇒附属工経専を併設)(1920年) / 神戸商大附属経専(1946年), 早稲田大専門商 / 明治大専門商 / 法政大専門高商 / 中央大専門商 / 日本大専門商(1920年)立命館大専門高商 / 関西大専門高商(1922年) / 専修大専門商(1923年)早稲田専門学校商科(1924年) / 拓殖大専門商 / 日本大大阪専門学校商科(1925年)上智大専門商(1931年) / 東亜同文書院大専門商(1943年), 座標: 北緯35度01分57秒 東経135度43分27秒 / 北緯35.032579度 東経135.724041度 / 35.032579; 135.724041, サブウェイ立命館大学衣笠キャンパス店(第一体育館1階にあったが、同体育館の解体に伴い閉店), 1935年(昭和10年)に学祖・西園寺公望から寄贈された南天竹と山梔子。植樹に際し記念碑も立てられた。, Creation Core (Biwako Kusatsu Campus, Ritsumeikan University, Japan).JPG, 「其の心を尽す(尽其心)者は其の性を知るなり。其の性を知らば則ち天を知らん。其の心を存し(存其心)其の性を養う(養其性)は、天に事(つか)う所以なり。妖寿たがわず身を修めて以て之をまつは、命を立つる所以なり。」, 「広小路学舎は草創期からの学び舎で、多くの卒業生が学び、役員、教職員、学生が守ってきた。この地を離れるにあたって寂寥の感が深い。この学舎はたんに教育、研究の場であっただけでなく、御所の東という立地条件に恵まれ、市民にもなじまれた。これから衣笠で八〇年代の学園の発展に向け飛び立とうするが、広小路学舎の歴史に学び、諸先輩の足跡を教訓としたい(『京都新聞』一九八一年二月六日付)。」, 立命館 : 1869-1990 : 立命館創始120年・学園創立90周年記念 / 立命館大学編, 関西大学百年史編纂委員会 『関西大学百年史』 通史編上巻、1986年、916-917頁, このマークは、1960年(昭和35年)に法学部三回生だった学生によりデザインされたもの。学園創立60周年を記念して新たなマークを公募した中から選ばれた。デザインがカメに似ていることから、当時の学生からは「カメ・マーク」「亀の子マーク」等と呼ばれていた, 立命館百年史編纂委員会『立命館百年史 資料一』学校法人立命館、2000年 より、p.795 - 796, この大学対抗戦のみ、立命館大学の他の大学対抗戦とは異なり、例外的に「立名戦」とは称さずに、名古屋大学側と同じ「名立戦」と公式に称している(立命館大学クイズソサエティーの公式ホームページでも「名立戦」と記述している)。これは「立名」とすれば同大学の略称の一つである「立命(りつめい)」と読みが同じとなることから、混乱を防止するためである。, 「衣笠キャンパス略史 - 校地・校舎の変遷について - (著・久保田謙次)」 立命館百年史紀要 第二十一号(2013年3月28日発行)pp.287-332, 立命館総長だった中川小十郎は、「何も知らずに買った土地が本校が大変御世話になっている西園寺公の御先祖が住まはれた土地であったことがわかり今更因縁浅からざるを痛感した」と述べている(京都日出新聞 1939年6月23日記事より)。, 「元来衣笠山周辺一帯の地域は西園寺家の所領であったが、足利三代将軍義満が所望して、大和の某地を替地として交換したという古い記録がある。校地の整地中、西園寺家の定紋である左巴のついた古瓦が、続々と掘り出された事実と称号して、この地がかつて壮麗を誇った西園寺の遺址であることは明らかである。いずれにしても西園寺公望に臣仕した中川小十郎(総長)が、その終生の事業をこの地に選んだことは、偶然とはいえ奇しき因縁といわざるを得ない(出典:「父倉橋勇蔵の思い出 - 『酒徒まんだら』のことなど -」(著・糟谷慶作)「立命館百年史15巻(148頁)」。, 立命館大学[畑中和夫名誉教授は、愛新覚羅溥傑氏への名誉法学博士号贈呈の経緯について問われた際、以下のように述べている。(以下、引用)『昭和14,5年頃の日満高等学校の設立にあたり、当時のお金で50万円という巨額の寄付を愛新覚羅溥儀から受けた。そのうち20万円で、衣笠の6万坪の土地を購入し、校舎を建て、さらに学生向けの奨学金の基金も創設できた。満州国皇帝からの寄付を受けたのは立命館と秋田工業専門学校(現秋田大学の前身)の2つだった。この寄付の一件について、満州国と立命館の仲介をしたのが、当時、満州国駐日大使として日本にいた溥傑氏であった。月日が流れて、溥傑氏が中国全人代の中の常務委員としての肩書きで訪日し、清水寺を訪ねた折のこと、思い出話の中で、この寄付の一件を溥傑氏が覚えていて「そのような縁のある立命館を見てみたい」と言っているとの話が、清水寺ルートで畑中教授に伝わった。この話を受けて、畑中教授が学内外の人と相談を重ね、「まさか返してくれとはおっしゃるまい」など心配もしながら、元, 1939年(昭和14年)3月16日、満州国補助金交付の通達が財団法人立命館に発せられた。補助金の内容は1939年度30万円、40年度20万円の二カ年継続合計50万円であった(『立命館日満高等工科学校 - 理工学部前史の一齣 -(著・伊藤武夫)』、「立命館百年史紀要・第二号(1994年3月)」55頁-60頁より), 「<資料> 立命館大学の建物名称等について --- 広小路キャンパスおよび衣笠キャンパスを中心に ---(百年史編纂室)」立命館百年史紀要 第二十号(2012年3月28日発行、立命館百年史編纂室編集), <懐かしの立命館>「自由と清新」「平和と民主主義」の始まり-建学の精神、教学理念は何時できたのか?-, <懐かしの立命館>立命館大学の門 前編 || 立命館あの日あの時 | 立命館 史資料センター準備室(旧・立命館百年史編纂室), <懐かしの立命館>立命館中高 北大路校舎誕生物語 第1部 広小路から新天地北大路へ 立命館あの日あの時, 薩摩藩家老の桂久武による『桂久武日記』には、「この日、きん笠山(衣笠山)下へ調練場おとりなされたき吟味もこれあり候処、見分(検分)のため参るべしと申し談ず」と記されている。出典:「知られざる京都の小松原調練場」(南日本新聞社 2011年8月8日掲載), 映像学部・研究科、情報理工学部・研究科が2024年4月、大阪いばらきキャンパスに移転 「ソーシャルコネクティッド・キャンパス」の創造を目指す |立命館大学, BKC体育館・ジム|学生関連施設 セミナーハウス・体育館・学生会館 |学生生活・就職|立命館大学, 学園通信RSWeb セントラルアークの歩き方 セントラルアークの名づけ親にインタビュー, 学園通信RS Web 2005年11月号『立命館不思議学舎』(広小路と衣笠を繋ぐ糸), 『特集 学び舎の変遷にみる立命館の歩み - 広小路・衣笠編』立命館大学校友会報「りつめい」No.