H16.07.27@goÌ\¬ÌÏX@@@@@@@¡lÀmñ\èo^@@@@@@@ɨê©^ïÊ^gåÇÁH16.06.26@uÊ^WvÉuɨê©^ïvÇÁH16.06.22@uݳ¦Ìî{vÉåª×æ¶_¶ÇÁH16.06.21@uâÅÌ´ùvÉÚÇÁ 「生長の家・開祖の『御教え』全相復活を目指す掲示板」に、 「[6980] 今では週刊誌記事にしても売れない生長の家」 亀の子 - 2017年05月18日 (木) 00時04分 . h27.07.24 「生長の家・開祖の『御教え』全相復活 を目指す掲示板」リンク追加 h27.06.17 「實相塾」 7月度例会案内掲示 h27.04.15 「實相塾」 5月度例会案内掲示 h27.0401 「谷口雅春先生に帰りましょう」 H15.08,23@õÌiRz[y[WJn. 生長の家「今昔物語」 http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/ アーカイブ その信仰は、神道・仏教・キリスト教・イスラム教・ユダヤ教等の教えに加え、心理学・哲学などを融合させている。正しい宗教の真理は一つと捉えている。宗教法人格を持つ。, 1930年に谷口雅春によって創始された。『宗教年鑑 令和元年版』における国内信者数は、410,219人である[2]。本部は山梨県北杜市[3][4]。, 現在の総裁は雅春の娘婿の谷口清超の二男谷口雅宣。2008年10月28日に父清超が89歳で死去したため、立教記念日の2009年3月1日付を以て雅宣が第3代生長の家総裁に就任した。, 総本山として龍宮住吉本宮が長崎県西海市に、別格本山として宝蔵神社が京都府宇治市に各々ある。教典として『生命の實相』、『甘露の法雨』、「七つの燈臺の點燈者の神示」などがある。, エコロジー活動への取り組みで知られ、日本において「最も積極的に環境問題に取り組んでいると目される宗教団体」[5]、「エコロジーの実践を中心に据えた教団」[6]と評価する研究者もいる。, 保守的な教義をもちかつては自由民主党から組織内候補を擁立していたが、1983年から自民党と距離を置くようになり2016年からは明確に自民党への不支持を表明するようになった。またプロライフ・エコロジーの立場から現在も政治への発信は強めている(政治的スペクトル参照)。, 信徒も含め一般向けの行事として「講習会」が設けられており、全国59教区で隔年開催されている。2015年からは各地で年に数回の「新人のための勉強会」が行われている。, 一般向けの月刊誌(「普及誌」)としては、『いのちの環』、『白鳩』、『日時計24』の3誌を日本教文社が月1回発行、世界聖典普及協会を通して頒布している。機関紙としては『聖使命』、『生長の家』がある。いずれも月1回発行である。, 信者組織としては、男性対象組織「相愛会」(1万人)、女性対象組織「白鳩会[7]」(6万人)、12歳~39歳の男女青年組織「青年会」(3千人、誌・組織共に1998年)が基本の3組織とされている。1985年11月21日まで総裁を雅春、白鳩会総裁を谷口輝子、2009年2月28日まで総裁を清超、白鳩会総裁を谷口恵美子が担当していた[8]。, この他に副次的組織として、会社経営者や産業人で構成される「生長の家栄える会」、学校教員や教育関係者で構成される「生長の家教職員会」(生教会)が存在する。なお、かつては生教会と同列的な組織に「新教育者連盟」(新教連)が存在したが、2003年に生長の家側が包括的関係を解消している。, 青年会指導下の学生組織としては、生長の家学生会全国総連合や生長の家高校生連盟、生長の家ジュニア友の会が存在している。また、かつては新教育者連盟が運営していた日曜学校的な教育組織である生命学園は、現在では生長の家教職員会の管轄にある。, なお、平成29年時点での信徒(聖使命会会員)は459,531人であり、組織会員は平成31年1月1日の総裁による挨拶によると約3万7千人である[9]。, 海外活動は日系移民の多いブラジルで盛んで、信者数は250万人などと公称、またサンパウロ州、クリチーバ市、サンジョゼ・ド・リオ・プレット市、サンタマリア市、ベレン市、ポルト・アレグレ市、等では「生長の家の日」が制定されていると生長の家は主張しており、実際にサンパウロ州議会で「生長の家の日」が祝われたという報道もある[10]など、日系人を中心に影響力を持っている。, 1935年(昭和10年)2月1日制定された[11]。図案は帝展審査員であった山根八春(やまねやつはる)がデザインした[12][11]。テーマは万教融和と中心帰一である[11]。そして全体は太陽・月・星・地球・卍・十字・日の丸を融和させたデザインとする[12]。周りの32の赤の円光は仏の三十二相[12]を、中の白の卍は仏教と太陰を表している[12][11]。中央の緑の八つ星は八方位をまとめた存在として日本を、また十字架としてもキリスト教を表している[11]。そしてこの八つ星の緑は青人草(あおひとぐさ)が繁茂している事を示す[12]。, また生長の家ではこの徽章を太陽の子孫、神の子であるしるしとしている[11]。また日子(ひこ)「彦」、日女(ひめ)「姫」の悟りを開いた三十二相の顕現の兆候を示しているとする[11]。, 生長の家の教義は雅春の著作特に生命の実相と甘露の法雨を基礎とする。なお、生長の家は、神道や仏教、キリスト教、天理教、大本等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。ただし、現総裁の雅宣が生長の家の経典を含む各宗教の聖典の原理主義的解釈を否定していることでもわかるように、例えばイスラム原理主義や創価学会の教義をそのまま認めている、というわけではない。, 生長の家では、世界を実相と現象に分けて区別し、第一義的実在であるのは「善一元なる唯一絶対神」だけであって、それ以外のものは実相には存在しない、と考える。現象世界のものは、物質から霊的なものまで、すべて「第一義的実在に非ず」[13]と説く。「物質は心の影」であると説く一方で、その「心」すらもなく、死者の霊も先祖供養等の対象とはするが、物質が存在しないというのと同じ意味で霊魂も存在しないと説いている。逆にいうと、例えば先祖供養の形式については、信徒は仏教やキリスト教、神道のいずれの方式で行っても、生長の家の教義に違反しない、ということであり、生長の家が信徒に対して改宗を求めない理由の一つとなっている。, 生長の家の基本教義。「縦の真理」と呼ばれる。教団公式HPには「実相の世界は神の御徳が充満していて、人間は神の子であり、神と自然と人間とは大調和している世界です。つまり本当に存在するものは唯、神と神の作られた完全円満な世界だけであるという意味で「唯神実相」と呼んでいます。」[14]と記されている。, これに対して一般に「現実」と呼ばれる世界は「現象」と呼び「現象の世界は、全体の膨大な情報量のうち、人間の肉体の目、耳、鼻、口、皮膚で濾(こ)し取ったごく一部の不完全な情報を、脳が組み立て直して仮に作り上げている世界です。ですから、世の中には戦争やテロがあったり、病気などの不完全な出来事があるように見えますが、それらはすべて「現象」であって、本当にある世界の「実相」ではないと説いています。」[14]と述べている。, なお、生長の家の教義に「実相の日本は未だ敗戦をしていない」というものがあるが、これは住吉大神から谷口雅春に下った神示とされる「軍国日本の如きは本来無き国であるから滅びたのである」[15]が出典であって、当初は「現象」における過去の日本と「実相」における本当の日本とを区別すべきという意味であり大東亜戦争肯定論を意味するものではなかった(「軍国日本」は実相世界には存在しないことが前提であった)。今でも教団が公式に大東亜戦争肯定論を主張したことはないが、生長の家本流運動系の団体では大東亜戦争肯定論が主張されることがある。, 教団の公式HPには「唯心所現の「心」とは「コトバ」であり、コトバには行動で表現する「身(しん)」、発声音で表現する「口(く)」、心の中で思う「意(い)」の3つがあり、これら身・口・意の三業を駆使することで、唯心所現の法則によって現象世界をいかようにでも作り上げることが出来るのです。」[14]とある。, 教団の公式HPには「宗教に違いがあるのは国や地域、民族によって服装が違うように、宗教も文化的な違いが現れているからだと言えます。目玉焼きに喩えると、中心部分の黄身を普遍的な根本真理と見立て、それぞれの宗教が共有していると考えます。一方、周縁部分である白身は、文化、民族、時代などの違いによって変化している部分だと考えると分かりやすいでしょう。世界の各宗教が、この中心部分(黄身)の共通性と周縁(白身)の多様性をお互いに認め合うことによって、宗教間の対立は消えることになります。それを端的に表わした言葉が「万教帰一」の教えなのです。」[14]とある。, 生長の家の教義と他の宗教の教義が直接に一致するという意味ではない。神については「第一義の神」「第二義の神」「第三義の神」が存在するとしており、第一の神が実相における唯一絶対神、第二義の神が現象における宇宙の法則やその具体化した姿、第三義の神が人格神であるとしている。例えば旧約聖書におけるエロヒムとヤハウェについては創世記でこの世界について「甚だ良し」と言ったエロヒムこそが第一義の神(=唯一絶対の神)であって、人類をエデンの園から追放したヤハウェは第二義の神であると説いている。仏教や神道についても、例えば谷口雅春に度々啓示を下す住吉大神は「第二義の神」であるとしている。, 行法は、「神想観[16]」「大祓の人型[17]」(年間二回)「浄心行[18]」「写経[19]」とよばれる「行法」のうちどれか一つでも一日に一回するのが望ましいとされている。, 永代供養は、永代祭祀ともいい、供養される者の氏名を専用の「甘露の法雨」経典に書き供養する。生存者の場合は総本山龍宮住吉本宮の誠魂奉安筐に奉安され故人に為ると別格本山宝蔵神社の紫雲殿に遷され永代供養される。, 生長の家では唯神実相の観点から生老病死・輪廻転生を遂げる人間・霊魂は実在しない「仮相人間」であり、生老病死・因果や法則を超越した存在こそ金剛不壊の真に存在する「実相人間」であると説く。その上でこの世、現象世界での生きるべき姿・処世術を説いている。, 人間が実相を悟れば事態・環境・法則は自ずから無害有益なものに為り、真に無限供給の神の恵みを受ける事が出来るとする。, 練成会は宿泊しながら教義の学習と行法の実践を行う行事である。生長の家の各地の拠点で行われている。, 創始者(生長の家では開祖や教祖の名称は使われない)の谷口雅春は、紡績会社勤務のときから1918年(大正7年)に大本の専従活動家になり、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記に携わった他、機関紙の編集主幹などを歴任した。同時期に大本の本部で活動していた江守輝子と出会い、1920年(大正9年)11月22日に結婚。, 1922年(大正11年)の第一次大本事件を機に、大本から離脱した浅野和三郎と行動を共にし、翌1923年(大正12年)には浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』に加わった。同年関東大震災で被災し、妻・輝子の実家である富山に疎開中の10月10日、長女の恵美子が誕生。, 雅春は、外資系石油商ヴァキューム・オイル・カンパニー勤務の傍ら『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ね、一燈園の西田天香らとも接触した。特に当時流行していたニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。, 1929年(昭和4年)12月13日深夜、瞑想中に「今起て!」と神から啓示を受けたことを機に、1930年(昭和5年)3月1日に修身書として雑誌『生長の家』1000部を自費出版した(生長の家ではこの日を以て「立教記念日」としている)。, 「人間・神の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」のニューソート流主張により、支持者・講読者を拡大。 『生長の家』誌で発表した雅春の論文は1932年(昭和7年)に『生命の實相』としてまとめられ、1935年(昭和10年)には購読者を組織して「教化団体生長の家」を創設する。各地に支部を設立し、また学校などでも生長の家の講演会が開かれるなど教勢を拡大した。, 敗色濃厚な1944年(昭和19年)には紙の配給が止まり『生長の家』誌の発行も一時停止したが、軍国的な「皇軍必勝」のスローガンの下に、金属の供出運動や勤労奉仕、戦闘機を軍に献納するなど教団を挙げて戦争に協力し、天皇信仰・感謝の教えを説いた。一方で、当時準国歌的な扱いであった海ゆかばの歌を歌うことに反対するなどの活動も行ったため、憲兵や特別高等警察と教団の講師がトラブルになることもあった[20]。, 生長の家および生長の家系列の宗教の書籍等では旧日本軍に生長の家信者が少なくなかったことが記される。宮城事件は信者の田中静壱が鎮圧した[21]。根本博は生長の家の教義にしたがい終戦後も内モンゴルでソビエト連邦と戦った。, 戦後は西洋思想家の著作の邦訳も行っていたが、その翻訳作業の助手の募集を見た者の中に、後に雅春の養嗣子となり、第2代総裁となった荒地清超(後の谷口清超)がいた。清超は1946年(昭和21年)に雅春の一人娘の恵美子と結婚する。, 1949年(昭和24年)に「生長の家教団」として宗教法人格を得て、組織の再構築を行った。その後は妊娠中絶反対運動などでも積極的に政治活動を行うようになり、伊勢神宮の神器の法的地位の確立(一宗教法人の私物ではなく皇位継承と特別な関係のあるものと主張)や、靖国神社国家護持運動など右派活動を行った[22]。さらに、建国記念の日の制定や、元号法制化に教団を挙げて協力した他、「優生保護法廃止(堕胎禁止・反優生学)」「帝国憲法の復原・改正」を掲げて生長の家政治連合(生政連)を結成し玉置和郎、村上正邦、田中忠雄、寺内弘子を自由民主党公認候補として参院選に送り込んだ(この付近の経緯は、公明党を生んだ創価学会とよく似ている。公明党の前身は創価学会文化部から出た無所属議員である)。, 1978年(昭和53年)の第2回相愛会男子全国大会(日本武道館で開催)の時には、玉置和郎や中川一郎、黛敏郎また130名程の国会議員が参加し、渡米中だった、時の首相・福田赳夫から祝電が届いた。, また、学生運動が再高揚した1969年(昭和44年)には、生長の家学生会全国総連合(生学連)を中心に生長の家青年会・生長の家政治連合の後押しを受け、他の保守系諸団体と共に全国学生自治体連絡協議会(以下「全国学協」)[23]を結成し、「学園正常化」と「YP体制打倒」「反近代・文化防衛」を掲げて、全国の大学で全日本学生自治会総連合と激しく衝突した[23]。, 日本青年協議会(以下日青協)は[24]ただし、組織的には生長の家教団とは全く無関係の組織である。また、日青協の学生組織である反憲法学生委員会全国連合(反憲学連)は、全国学協内の路線対立、分裂によって生まれた組織である。1973年(昭和48年)に、全国学協中執を中心とする一派が自立草莽・実存民族派路線、反米帝・民族解放路線[25]を採択したのに対し、もう一派は、反ヤルタポツダム・反憲・民族自立路線の下に新たに反憲学連を結成した。, 現在、日青協や、伊藤哲夫の興した「日本政策研究センター」は、「日本を守る国民会議」の後継団体である日本会議の加盟団体として、神社本庁やその傘下の神道政治連盟、念法眞教、仏所護念会、崇教真光、キリストの幕屋等、生長の家以外の保守的宗教団体と強い関係を構築している。保守的宗教団体に数えられることもある世界基督教統一神霊協会=原理研究会とも、全国学協の草創期に一時部分的に共闘したことがある[26]。, 生長の家は伊勢神宮や靖国神社を皇室に帰属させるべき、といった保守的な主張のみならず堕胎禁止を始めとするプロライフ的な主張を展開した。マザー・テレサの著書を関連会社から出版するなど国際的な宗教右派との連携も展開していた。, こうした生長の家のプロライフ(生命尊重)の主張で特筆すべきは、第一にそれが1959年という他の団体と比べても初期に行われていた[27]こと、第二にそれが胎児の権利のみならず動物の権利にも及ぶ徹底した生命尊重主義であったということである。谷口雅春はつぎのような主張を展開していた。, 1978年に雅春は生長の家総本山に移住し政治活動の一線から退いた。生長の家の政治運動には初期から内部での路線対立は存在した[28]が、この頃から政治運動に積極的な「飛田給派」と否定的な「教団派」(本部派)の対立が激しくなる。しかし、1982年時点では教団派の理事長が更迭されるなど飛田給派の影響力が強かった[29]。なお、飛田給派と本部派の名称の由来はその拠点となった場所がそれぞれ「生長の家飛田給道場」と「生長の家本部」だったからである。, 1983年(昭和58年)、当時の理事長の徳久克己は飛田給道場の創設者ということもあり飛田給派の人間であると見られていた[30]が、優生保護法改正を巡って自由民主党と対立したことを理由に、生長の家政治連合の活動を停止を決断した[30]。1985年(昭和60年)6月17日に雅春が死去し、娘婿の清超が第2代の総裁に、妻の恵美子が第2代の白鳩会総裁に就任。同年、日本を守る国民会議から脱退し生長の家は自民党やその支持団体と距離を置くようになった。, 1988年(昭和63年)4月26日には雅春の妻で初代白鳩会総裁の輝子が死去。その後1990年(平成2年)11月22日には、清超の次男の谷口雅宣[31]が副総裁に就任し、清超と共に講習会への講師としての出講を行うようになっていく。1993年、「国際平和信仰運動」を提唱し推進、日本政府による大東亜戦争への反省や戦争責任の追及、人権感覚からの女系・女性天皇の推進を表明するなど、これまでの愛国・保守(=右翼)的教義から距離を置くような転換を積極的に進めている。1994年(平成6年)には雅宣の妻・谷口純子が白鳩会副総裁に就任。, 近年では、地球環境問題や遺伝子操作・生命倫理問題、エネルギー問題などの現代科学に対し宗教右派[32][33]の立場からの主張が多く、教団の教義にもその意向が強く現れてきている[34][35][36][37]。一方、雅宣は自身のブログでは民主党への支持を表明するなどしたため、一部の信徒は雅宣を「左翼」と批判し、1998年から旧飛田給派の信徒らを中心に公然と教団に反対する生長の家本流運動の動きが生まれた。だが、実際には雅宣は例えば「非核三原則の堅持」を表明した民主党政権に対して「この問題は日本が単独で決定すべきものではない」「現状の国際関係にあっては、“アメリカの核の傘”がまだ必要だ」と述べるなど親米保守的な発言もしている[38]。, また、「国際平和信仰運動」については、「政治力を用いない」ことが明記され[39]ており、現時点で生長の家政治連合の活動再開は、一切考えていない旨を明言した[40]。過去に生長の家の推薦を受けて当選していた政治家も、KSD事件以来、全員が今では議員を辞めている。, 現在の生長の家は緑の保守主義色を全面に出すようになっている。2000年生長の家は環境マネジメントシステム“ISO14001”の導入を運動方針に決定し、「生長の家環境方針」を定めた。環境方針では、, 地球環境問題は、その影響が地球規模の広がりを持つとともに、次世代以降にも及ぶ深刻な問題である。今日、吾々人類に必要とされるものは、大自然の恩恵に感謝し、山も川も草も木も鉱物もエネルギーもすべて神の生命(イノチ)、仏の生命(イノチ)の現れであると拝み、それらと共に生かさせて頂くという宗教心である。この宗教心にもとづく生活の実践こそ地球環境問題を解決する鍵であると考える。