【1次ラウンド暫定順位】 7:11:00 3の勝者 vs 4の勝者 (益城町競技場) ユースのチーム寮をググってたら、こんな記事を発見した 新スタジアム前に大型補強、J2北九州 2015年04月23日 サッカーJ2・ギラヴァンツ北九州は21日、2014年度決算と18年度までの中期経営計画を発表した。売上高は広告収入やグッズ販売が好調で、過去最高の7億4600万円。リーグ戦5位など好成 … 得点数. 浅野は・・・小倉駅近くで、本当便利だよなぁ, 仕事の途中寄ってみた・・・ Junpei ARAI 1989/7/22 25 171 65 茨城県 日本体育大 6:12:40 ギラヴァンツ北九州 vs 大分トリニータ (西南田尻or大分), こちらはもう予選始まってますね ギラヴァンツ北九州(ギラヴァンツきたきゅうしゅう、Giravanz Kitakyushu)は、福岡県北九州市をホームタウンとする、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。, 1947年に創部された三菱化成黒崎サッカー部が前身となり[1]、2010年に九州地区ではロアッソ熊本に次いで5番目の、福岡県ではアビスパ福岡に次いで2番目のJリーグ加盟クラブとなった。運営会社は株式会社ギラヴァンツ北九州である(2011年2月に株式会社ニューウェーブ北九州から商号を変更)[1]。, クラブ名称の「ギラヴァンツ」(Giravanz)はイタリア語で『ひまわり』(北九州市の市花)を意味する "Girasole" と『前進する』という意味の "Avanzare" を組合せた造語である[1]。, 北九州市1市をホームタウンとしている[1] が、北九州市周辺の自治体との間で「スポーツの振興や地域の活性化、住民サービスの向上を図ること」を目的とした「フレンドリータウン協定」を締結しており、2014年2月20日の遠賀郡水巻町[7] を皮切りに北九州市周辺の6市11町[注 1]と締結している。, チームマスコットは、小倉南区の曽根干潟に飛来する環境省の絶滅危惧種Ⅱ類に指定されているズグロカモメをモチーフとしたギラン(Giran)。2010年にウェービー(Wavy)から変わった。[1]。, 1947年(昭和22年)、三菱化成工業黒崎工場(現・三菱化学黒崎事業所)内にサッカー部が創部[1]。九州リーグではリーグ優勝7回の成績を納める。, 2001年4月、北九州サッカー協会(会長は矢野嘉三)幹部が中心となり、当時のNSC八幡、三菱化学黒崎FCの代表者と協議の上、Jリーグ入りを目指す市民サッカーチームの運営母体「北九州フットボールクラブ」(代表者は林秀美)を設立(2004年にNPO法人に移行)。2001年から三菱化学黒崎FCの運営を引き受け[1]、市民主導のクラブチーム「ニューウェーブ北九州」として再出発する。2007年に九州リーグで優勝、全国地域サッカーリーグ決勝大会で準優勝し、翌年日本フットボールリーグ(JFL)へ昇格[1]。同年にはJリーグへの準加盟承認を受け[1]、同年に運営法人を株式会社化。2009年、JFLで4位の成績を収め、2010年からのJリーグ加盟が承認された[1]。, 与那城ジョージが監督を続投(4年目)。商標上の問題から、2月にチーム名を「ギラヴァンツ北九州」と改めた(7月23日に商標登録を出願)[14]。, 甲府から時久省吾、福岡から長野聡とウェリントン、熊本から河端和哉、水戸から村松潤を完全移籍で、柏から池元友樹(北九州へは4年ぶりの復帰)をレンタル移籍で獲得した。前シーズン途中に徳島よりレンタル移籍していた大島康明を完全移籍で獲得。さらにシーズン途中の7月に栃木SCからレオナルド、ペルセラ・ラモンガン(英語版)(インドネシア)から小森田友明を獲得した。, Jリーグ初戦は横浜FCに敗れたが、第3節(東京V戦)でJリーグ初勝利(及び初勝ち点)を挙げた。, その後は得点力不足(年間で2得点以上は全36試合の内4試合)および守備崩壊(無失点は全36試合の内5試合、第17節以降シーズン最終戦まで20試合連続計47失点、うち4失点3試合6失点1試合)に苦しみ、第33節の甲府戦に敗れリーグ戦1シーズン29試合連続勝ち試合なし(それまでは2003年シーズンの鳥栖)、11月20日の千葉に敗れリーグ戦31試合連続勝ち試合なしのそれぞれJリーグワースト記録を更新した(それまでは2003年から2004年シーズンの鳥栖)[15]。, 先述の千葉戦で敗れた時点で、2試合(3節)を残して最下位が決定、残り2試合も連敗し、Jリーグ初年度はリーグ戦年間1勝のJリーグ最少記録、リーグ戦ホームゲーム年間1勝も併せてJリーグワースト記録[注 2] で、リーグ戦アウェイゲーム年間無勝利は2003年の鳥栖に並ぶワーストタイ。シーズン終了後に与那城が監督を退任、三浦泰年が2011年2月1日付で後任監督に就任した[16]。ニューウェーブ北九州時代からプレーしてきた選手を含む多くの選手が退団・移籍した。, 天皇杯は、9月5日に行われた2回戦で草津戦に勝利して、リーグ戦の東京V戦以来約5ヶ月半ぶりに公式戦勝利を挙げた[注 3]。, 2011年は、三浦に監督が交代した以外にコーチ陣も一新。新たにゴールキーパー専門のコーチも導入した。, また、清水から永畑祐樹、札幌から佐藤優也、川崎から木村祐志、G大阪から安田晃大、栃木から宮本亨、林祐征を完全移籍で、東京Vから福井諒司、横浜FCから橋村祐太、FC東京から森村昂太(前年度所属は水戸)をレンタル移籍で獲得。開幕後は3月に金水連(8月に契約解除、公式戦出場なし)、4月に呉勝録、7月に金鐘必と韓国人選手を獲得した。さらに前年度所属選手のうち、特別指定選手であった多田高行(鹿屋体育大学)が正式に入団したほかレンタルだったレオナルドは完全移籍へ移行、池元友樹のレンタル期間も延長された。, 一方で、7月に佐野裕哉がSC相模原へレンタル移籍、河内勇太が契約満了により退団した。, 2月9日から19日まで、長崎県島原市で前身を含め球団創設以来初となるキャンプを行い、主将に移籍1年目のMF木村が就任[17]。, 開幕戦(千葉戦)、東日本大震災による中断後の初戦(第8節・4月24日、鳥取戦)と連敗したが、第9節(4月30日)愛媛戦に勝利し、前年からの連続試合未勝利を35(12分23敗)で止めた。また、第13節(5月22日)京都戦で初のホーム連勝、第14節(5月29日)富山戦(ホーム)で初の連勝を飾った。, 第19節(7月2日)大分戦に勝利してバトルオブ九州初勝利。第23節(7月30日)でFC東京、第3節(8月5日)で徳島と当該節時点での首位を連破。また、第36節(11月20日)で同じく2位の鳥栖に勝利(後半戦19試合での鳥栖の敗戦はこの試合のみ)して、シーズン目標の「勝点56」を達成、順位も一時は5位へ上げた。, シーズンを通して、連敗は2度のみ(うち一度は開幕からの2連敗)で、最終順位は8位となり、前年の最下位から順位を上げた。, その一方で、Jリーグでのアンフェアなプレーによる反則ポイントは、2010年の125[18] から180[19] へと増加し、制裁措置となる反則金の金額も前年の60万円[18] から150万円[19] へと増えた。特に2011年シーズンでは反則ポイント・反則金の金額ともJ1・J2の38クラブを通じて最多であった[19]。, 大宮から新井涼平(前年度所属はFC岐阜)、徳島から登尾顕徳、水戸から常盤聡を完全移籍で、甲府から加部未蘭、東京Vからキローラン木鈴、キローラン菜入、高野光司、清水から竹内涼、横浜FMから端戸仁をレンタルで獲得した。さらに渡大生(広島皆実高校)と、前年度特別指定選手だった武田大(東京学芸大学)が入団した[20] ほか、柏よりレンタル移籍していた池元友樹とFC東京からレンタル移籍していた森村昂太を完全移籍で獲得した。, 一方で、重光貴葵、桑原裕義が引退、河端和哉(長崎へ移籍)、宮川大輔(SC相模原へ移籍)、佐藤真也、呉勝録が契約満了により退団し、時久省吾が岐阜へ完全移籍、水原大樹が讃岐へレンタル移籍、東京Vからのレンタルだった福井諒司が復帰(その後、柏へ完全移籍)、佐野裕哉が相模原へ完全移籍した。, リーグ戦は、開幕第4戦でシーズン初勝利を挙げてから4連勝し、第7節終了時にJ1昇格プレーオフ圏内の6位に浮上。第28節の大分戦(8月12日)から第34節(9月17日)の千葉戦まで、シーズン2度目の4連勝を含む6勝1分の成績を残した。第29節(8月19日)の福岡ダービーで、過去3戦3敗の福岡に初勝利。また、バトルオブ九州も2連覇を達成した。, 9月28日、2013年度のJリーグクラブライセンス申請において、J2ライセンスの交付を受けた[21]。これにより本シーズン終了後のJ1昇格は無くなった。なお、最終成績は9位で、勝点は前年の58を上回る64を獲得した。, 天皇杯は初戦(2回戦)でFC町田ゼルビアにPK戦で敗退。シーズン終了後に三浦が監督を退任した。, 6月には渡大生がAFC U-22アジアカップ2013 (予選)のU-19日本代表に選出され、クラブ史上初めての代表選手となった。, 監督に京都や山形の元監督の柱谷幸一が就任[1]、前伊賀FCくノ一監督の大嶽直人がトップチームヘッドコーチに就任。常盤聡、佐藤優也、安田晃大、金鐘必、関光博らが東京V、新井涼平が甲府、木村祐志が大分、川鍋良祐が松本にそれぞれ完全移籍。また、クラブが長期的な方針として期限付き移籍による補強(2012年は所属29選手中7選手)を減らし、大卒ルーキーを積極的に獲得する方向に転換したこともあって[22]、期限付き移籍満了でDFキローラン木鈴、GKキローラン菜入が東京Vに、端戸仁、竹内涼がそれぞれ横浜FMと清水に復帰、高野光司は所属元の東京Vから町田に期限付き移籍した。さらに加部未蘭は福岡大学に進学、大島康明および林祐征が引退、水原大樹および鈴木慎吾が退団(その後、アルビレックス新潟シンガポールへ移籍)。2012年から継続して在籍している選手は7名となった。, 一方で栃木SCからGK武田博行とMF鈴木修人、京都からMF内藤洋平、関西リーグ・アミティエSCからDF松本陽介、横浜FCからMF八角剛史とDF渡邉将基、大分からMF小手川宏基、湘南からGK松本拓也、山形から前田和哉、札幌から大島秀夫、韓国・大田のキム・ドンフィを完全移籍で、韓国・水原のアン・ヨンギュ、大宮から李根鎬を期限付き移籍で獲得。また、九州共立大学から柿本健太、桃山学院大学から谷口功等大卒5名、高卒1名が加入した。さらに7月1日にセレッソ大阪から井上翔太を2014年1月31日までの期限付き移籍で獲得した。, リーグ戦は、第3節時点で10位につけたのがシーズン最高順位となった。第8節の福岡戦から第13節の札幌戦まで6連敗を喫し、第11節から第14節まで21位へ順位を落とした。第19節の熊本戦でリーグ戦クラブ記録となる1試合7得点を記録したが、第21節から第26節まで6試合勝ちなし(2分4敗)で第27節時点で20位と低迷。9月に3勝1分1敗[注 4] の成績を残して、第35節時点で16位へ順位が上昇。ただし、年間通して公式戦で3連勝以上を挙げることが無く、最終順位は昨年度を下回る16位の成績。なお、バトルオブ九州は2勝4敗の成績で3年連続の優勝は成らなかった。天皇杯は、3回戦でJFL・AC長野パルセイロにPK戦で敗れた。, 9月30日、2014年度のJリーグクラブライセンス申請において、2013年度に続きJ2ライセンスの交付を受け、その際、「2014年度末までに債務超過を解消する方法について具体的に提出すること」という旨の是正通達を受けた[23]。, 柱谷体制2年目。武田博行がC大阪、森村昂太が福岡、武田大が鹿児島へいずれも完全移籍、松本陽介と、キム・ドンフィ、アン・ヨンギュ、ナム・イルウの韓国籍3選手とは契約を更新せず、大宮から期限付き移籍していたイ・グノとの契約も満了(後に秋田に期限付き移籍)、また、谷口功が鹿児島へ期限付き移籍することとなった。一方、京都から原一樹、湘南から下村東美、川崎から風間宏希、G大阪から星原健太、鹿島から川島大地、秋田から鈴木彩貴がいずれも完全移籍で、浦和から大谷幸輝が期限付き移籍でそれぞれ加入し、2013年度途中にC大阪から期限付き移籍で加入していた井上翔太が完全移籍することとなった。また、新人として関西大学から寺岡真弘が加入した。なお同年のJ1、J2所属40クラブの中で唯一、シーズンを通して外国籍の選手がいないクラブとなった。, 前年のチームをベースに風間・星原・大谷などがレギュラーの座をつかみ、堅い守備陣を構築。12節富山に勝利してクラブ最高順位の4位に躍進。これ以降は一度も6位以下に下ることなく最終的に5位でリーグ戦を終えた。なお、J2ライセンスの交付となったため、J1昇格プレーオフへの出場は成らなかった。, 天皇杯ではJ2東京V、前年度天皇杯王者J1横浜FM、J1甲府に勝利し、クラブ初となるベスト8進出を果たした(準々決勝でJ2山形に敗戦)。, チームスローガンについては、新スタジアム完成が予定されている2017年シーズンに向けてJ1昇格という目標にステップアップするという意味で、3年分一斉に発表され、2016年は「一心 〜夢へステップ!〜」、2017年は「一心 〜夢へジャンプ!〜」とされた[24]。, 柱谷体制3年目。前シーズン全公式戦に出場したGK大谷幸輝が、期限付き移籍期間終了で浦和に復帰、前身のニューウェーブ北九州時代を知るFW池元友樹が松本へ、DF冨士祐樹が岐阜へ共に完全移籍。さらにDF渡邉将基が甲府へ、GK松本拓也と地元出身のFW柿本健太は秋田へ、前シーズンから期限付き移籍中のDF谷口功がJFL・鹿児島へ、DF田中優毅が中国リーグ・松江シティFCへいずれも完全移籍。DF下村東美、MF鈴木修人が引退(鈴木は明治学院大学サッカー部コーチに就任)、また、Kyuリーグ時代の2007年から通算8年間在籍し、2013年度からは地域コミュニケーターだった藤吉信次が東京Vユース監督に就任するためクラブを離れた。一方、湘南からGK阿部伸行、群馬からMF加藤弘堅、大分からFW小松塁(2013年シーズンから長崎に期限付き移籍中)、栃木からFW近藤祐介、横浜FCからDF西嶋弘之、千葉からFW大塚翔平がいずれも完全移籍加入し、新人として福岡大学から弓崎恭平、近畿大学からGK中山開帆、鹿屋体育大学からMF小谷健悟の3名が加入、さらに、前シーズンU-18チームから2種登録選手として登録されていたDF梶原夕希也が正式にプロ契約となった。, J2参入6シーズン目にして初めてホーム開幕戦(第2節)・徳島戦で勝利したものの、その後3試合無得点で3連敗し、第5節終了時点で降格圏となる21位にまで順位を下げる。第6・7節を連勝して降格圏を脱し、暫くは連勝連敗を繰り返したが、第15節・千葉戦から、2012年以来3シーズンぶりとなるリーグ戦4連勝を含む5試合負けなしで一旦10位まで順位を上げ、前半戦は9勝2分10敗勝点29の13位で終える。後半戦はリーグ戦で2連勝3回2連敗2回と一進一退の戦績を繰り返していたが、10月以降の8試合で5勝1分2敗で順位を上げ、2年連続プレーオフ圏内となる6位以内こそならなかったものの、最終的に6位長崎と勝点差1の7位でシーズンを終えた。, 小松塁がクラブ新記録かつ自己最多の18ゴールを挙げ、J2得点ランキングでジェイ(磐田)、ムルジャ(大宮)に続く3位(日本人選手では1位)となったほか[25]、原一樹も13ゴールで7位タイとなるなどした結果、リーグ戦全42試合の半数近い20試合で複数得点を挙げ、チームの総ゴール数は59で全22チーム中4位と攻撃面で躍進した一方、守備面では前年度のレギュラーが3人抜けたこともあり不安定な状況が続き、無失点の試合7試合に対し複数失点した試合は17試合(うち3失点以上5試合)、岐阜・栃木に次ぎ、横浜FCと並んで22チーム中ワースト3位の58失点であったため得失点差は僅か+1。また順位こそ7位ながら、勝敗では18勝5分19敗と負け越しとなった。また、反則ポイントが-5と初めてマイナスとなり、2014年に続き2年連続でフェアプレー賞を受賞した[26]。, 柱谷体制4年目。1月1日付で、2008年10月にクラブ運営会社が株式会社化されて以来7年以上社長を務めた横手敏夫が退任、強化本部長の原憲一が後任の社長となり、発表日前日(2015年12月15日)付で福岡取締役を退任したばかりの野見山篤が原の後任の強化本部長に就任[27]。コーチの大嶽直人が京都ヘッドコーチに就任のため退団[28]、後任に元長野監督の美濃部直彦が就任した[29]。, 選手では、FW大塚翔平(川崎に移籍)、DF宮本亨(現役引退し福岡U-18コーチに転身)が契約満了に伴い退団。東海リーグ・FC鈴鹿ランポーレへ期限付き移籍中のMF山之内優貴との契約も満了(後に大分に移籍)となった。また、FW渡大生が徳島に完全移籍した。一方、長崎からMF石神直哉[30]、MF花井聖[31] と地元出身のDF刀根亮輔(名古屋から期限付き移籍中)[32] を、さらに鹿島を退団した地元出身のMF本山雅志[33] をそれぞれ完全移籍で獲得。また、前年松本に移籍したFW池元友樹が完全移籍により復帰した[34]。, シーズン前には、監督・スタッフが「100点満点(の補強)。自分がやれる事は全てやれた」とプレーオフ圏内を目指すことを明言[35]、J2加盟7シーズン目にしてクラブ初となる開幕戦勝利を挙げたものの、続く第2節の山口戦から11試合連続未勝利(5分6敗)を記録、第9節終了時には“J3降格圏”となる21位に転落する。第13節でシーズン2勝目を挙げるも以後4連敗を喫し、第16節終了時には、2010年シーズン以来となるJ2最下位となる[36]。, こうした状況を受けて、夏の移籍期間には大宮からDF福田俊介、長崎からFWロドリゴをいずれも期限付き移籍で獲得。鹿屋体大のDF福森健太が特別指定選手で加入した。ロドリゴは北九州としては2013年以来3シーズンぶりの外国籍選手となった。, 第20節・21節とシーズン初の連勝を記録してJ2残留圏となる20位まで浮上したものの、結果的にこれがリーグ戦唯一の連勝となり、後半戦に入り8試合連続未勝利(4分4敗)となる。特に、後半戦最初の試合となった第22節山口戦では5失点を喫した。第25節終了時には再び最下位に転落し、その後もなかなか浮上のきっかけをつかめないままシーズンが過ぎる。第39節対長崎戦に引き分け一旦20位に浮上するものの、長崎戦を含む最終4節で勝利出来ず(2分2敗)、最下位の金沢と勝ち点差なしの21位で迎えた最終節で山形に敗れ、首位札幌と引き分けた金沢に抜かれ最下位が確定、初めてJ1ライセンスを取得した年にJ3降格となった[37]。, 敗戦数こそほぼ変わらないものの、勝ちきれない試合が増え、特にアディショナルタイムでの失点が増加[38]。後半44分以降に失点した試合が実に42試合中13試合に上り、また第14節からの19試合連続失点や、第22節からの5試合連続やシーズン最終3試合連続を含む複数失点した試合が19にも上ったこともあり、失点64と岐阜・群馬に次ぐJ2リーグワースト3位となったことが戦績に大きく影響した。, シーズン終了後、柱谷が監督を退任し[39]、美濃部・吉満・豊島の各コーチの退任[40] が相次いで発表された。, 監督に長崎でU-18監督などを務めていた原田武男が就任[41]。またコーチングスタッフとして萩村滋則、武田治郎、齋藤直幸を招聘した。, この年のクラブスローガンは、新スタジアム完成のタイミングでのJ1昇格を一つの前提として2015年の段階であらかじめ3年分決めており、当初は「一心 〜夢へジャンプ!〜」とすることになっていたが、2016年度第8回サポーターズカンファレンス(2017年1月開催)によれば「J3降格にあたって、スローガンについて見直しを図り、いろいろな意見を集めて議論した結果、『一心 〜夢へリスタート〜』というスローガンで新しいスタートのシーズンとしてやっていくことにしております。1年でのJ2への復帰と、素晴らしいスタジアムを作ってくださった行政、並びにそれを承認いただいている市民の皆様の思いに応えるために、お一人でも多くのお客さまにスタジアムにおいでいただけるよう、チームとフロントが一丸となってしっかりと集客を頑張ってまいりたい」と、スローガンの変更について述べている[42]。, DF多田高行・FW大島秀夫が現役引退、MF風間宏希が山形、FW原一樹が讃岐、MF新井純平とDF寺岡真弘が長野、MF小手川宏基が古巣大分、DF星原健太が松本、GK鈴木彩貴が横浜FMへいずれも完全移籍。GK阿部伸行(長野に移籍)とDF市川恵多(群馬に移籍)が契約満了で退団。2016年シーズン途中に長崎から期限付き加入したFWロドリゴも契約満了により退団となった。, 一方、同じく前年途中に大宮から期限付き移籍で加入していたDF福田俊介が完全移籍加入したほか、福岡からFW平井将生とFW中原秀人(中原は特別指定選手時代以来の北九州復帰)、長崎からMF神崎大輔、横浜FMからGK高橋拓也、JFL・奈良から前年度JFL新人王のMF茂平がいずれも完全移籍で加入。また熊本からDF鈴木翔登、長崎からMF小野寺達也、千葉からDF浦田樹(前年は琉球へ期限付き移籍)、金沢からFW水永翔馬、山形からGK山岸範宏が、それぞれ期限付き移籍で加入した。また新人として、前年度特別指定選手だったDF福森健太と、MF紀藤隆翔(三重高校)が新加入した。主将には地元出身の池元友樹が就任し、副将に八角剛史と加藤弘堅が選ばれた[43]。またシーズン開始後の3月に中国超級・上海上港から孫峻崗を期限付き移籍で獲得(シーズン終了前の11月29日に契約期間終了で退団[44])した。, 年頭の出陣式で、監督、選手ともに「1年でのJ2復帰」を明言[45]、同年からホームスタジアムとなったミクニワールドスタジアム北九州では、開幕戦の秋田戦を引き分けた後はホーム5連勝を挙げるなど、前半戦(17試合)でホームでは6勝1分1敗と相性の良さを見せたものの、逆にアウェーでは2勝2分5敗と低迷。特に昇格を争う上位陣に全く勝てなかったことが影響し、前半終了時点で7位と低迷。, 天皇杯では、2009年以来の県予選参加となり、決勝で九州産業大学に3-2で勝利し本大会出場を果たす[46]。1回戦では香川県代表のアルヴェリオ高松に10-0と大勝したものの、2回戦で清水エスパルスに1-4と完敗した。, 中断期間中の8月1日、同年から移籍加入していたMF中原秀人が鹿児島に完全移籍する一方[47]、8月9日には、栃木からFW安藤由翔が完全移籍で[48]、同12日には、金沢からMF山藤健太が期限付き移籍で[49] それぞれ加入した。, 後半戦に入っても上位陣にはなかなか勝てず、前半戦で相性が良かったホームゲームでも3勝1分4敗と負け越し、さらに下位チームにも敗戦を喫するなど上昇気流に乗れず、9月に入り第22節からの8試合で5試合連続未勝利を含む1勝2分5敗と低迷、10月29日、他チームの第29節の結果によりシーズン3位以下が確定して「1年でのJ2復帰」を逃した。最終的に、3連勝以上することが一度もないまま、13勝7分12敗の勝点46、9位でシーズンを終えた。, 同シーズン限りで監督の原田をはじめ[50]、ゼネラルマネージャーの野見山篤[51]、齋藤、武田[52]、萩村のコーチングスタッフ陣が退任[53]。更には社長の原憲一も退任となった[54]。, 1年でのJ2復帰を逃した結果を受け、当時の北九州市長・北橋健治は11月1日の定例会見で、市そのものの財政状況が厳しいこともあり市が拠出している年間6,000万円の運営補助金やミクニワールドスタジアムの利活用方法について支援のあり方を見直す意向を示している[55]。, 原の後任社長として元西日本新聞社北九州本社代表の玉井行人が就任[54]。前ヴェルスパ大分監督の佐野達を強化育成本部長に招聘[57]。前九州産業大学サッカー部監督で、金沢前監督の森下仁之が監督に就任[58]、GKコーチには前鳥栖GKコーチの高嵜理貴を招聘した[59]。, 前年末に報道された、北九州市からの補助金については、同市議会で前年比1000万円減の5000万円の補助金交付が承認された[60][61]。, DF西嶋弘之、DF前田和哉(後日アカデミーU-15コーチ就任)、MF八角剛史が現役引退、DF石神直哉(FCマルヤス岡崎に移籍)、DF弓崎恭平(富山に移籍)、DF梶原夕希也(現役引退、スクールコーチ就任)、MF神崎大輔(現役引退)、FW小松塁(現役引退、C大阪サッカースクールコーチ就任)が契約満了[62][63]、DF鈴木翔登(熊本に復帰)、MF山藤健太(金沢に復帰)、FW水永翔馬(テゲバジャーロ宮崎へ移籍)が期限付き移籍期間満了でいずれも退団。DF刀根亮輔が大分へ完全移籍した[64]。, 一方、前年度期限付き加入していたGK山岸範宏(山形から)、DF浦田樹(千葉から)、MF小野寺達也(長崎から)がいずれも完全移籍に移行。秋田からDF有薗真吾[65]、藤枝からDF川島將、福島からMF川上竜、琉球からFW前田央樹がいずれも完全移籍、G大阪からDFぺ・スヨンが期限付き移籍でそれぞれ加入。DF野口航(筑波大学)、MF藤原奏哉(阪南大学)、FW佐藤颯汰(日章学園高校)が新加入。さらに、J3リーグ開幕後(但し北九州の初戦前)になり、高知ユナイテッドSCからFWチョン・ウォンジェを期限付き移籍で、清水からDF村松大輔を完全移籍でそれぞれ獲得。シーズン開幕後の4月6日には元J2得点王で前年松本所属のFWダヴィを、同月27日にはかつて札幌、京都に所属し、前サンベルナルドFC所属のFWフェホをそれぞれ獲得した。リーグ戦休止期間中の7月30日、FW平井将生がJFLのFCマルヤス岡崎へ期限付き移籍した[66]。, 天皇杯は福岡県予選決勝で福岡大学と対戦、1-1で延長戦でも決着がつかずPK戦となり、8-9で敗れ、ニューウェーブ北九州としてKyuリーグ所属だった2007年以来11大会ぶりに本大会出場を逃した。, 翌年のJ2復帰を目標に謳ったものの、第3節でシーズン初勝利を挙げ暫定9位になった以外は12位以下に低迷[67]、第8節から5試合連続未勝利(1分4敗)となった第12節終了時には遂に最下位に転落、4連敗かつ開幕からホームゲーム6試合全敗となった第14節YSCC横浜戦の翌日の6月17日に、成績不振を理由として森下を監督より解任し[68]、3日後の20日、後任として柱谷哲二の監督就任が発表された[69]。監督交代後、5戦連続で負けなし(2勝3分)で、8月18日の鹿児島戦[70] に引き分けて一旦は最下位を脱したものの[71]、10月6日の琉球戦に敗れ、翌日の他の試合の結果により再び最下位に転落、8試合を残した時点で同年のJ3で2位以内となる可能性が消滅し、2年連続でJ2昇格を逃す結果となった[72]。この結果を受け、11月2日、監督の柱谷、鄭、八田、高崎のコーチ陣と、強化育成本部長の佐野の同シーズン限りでの退任が発表された[73]。その後も勝ち点を伸ばせず最終5節を未勝利、かつ柱谷の監督就任後はアウェーゲーム未勝利(3分6敗)のままシーズンを終了、年間順位は最下位の17位で、6勝9分17敗の勝点27に終わった。チームの総失点は、森下体制時では13試合でリーグ最低の25(1試合平均1.92)、特に辞任直前には4試合で12失点であったが、柱谷体制以後は19試合で17(同0.895)と、年間最少失点だった沼津(32試合29失点平均0.907)レベルに改善、最終的にはリーグ8位の42失点となった一方、総得点が22と、次に少ない藤枝の32点より10点も少ないリーグ最下位、かつ同年のJ3得点王のレオナルド(鳥取)が一人で挙げた24ゴールを下回った。個人の得点数もチーム得点王の池元の5得点とダヴィの4得点以外は2得点以下となり、リーグ戦の半数以上の17試合は無得点だった。そのため得失点差も全17チーム中最低の-20となった。, 同年最終節試合後、GK山岸範宏の引退セレモニーの際、セレモニー中にベンチにいた複数の選手が談笑したり、ふざけていたりしていた事についてサポーターから苦情の電話があり、12月4日、クラブ公式サイトに声明文を掲載する事態となった[74]。, 前清水監督の小林伸二が、監督兼スポーツダイレクターに就任[2]、ヘッドコーチには元浦和ヘッドコーチの天野賢一が就任[75]。, GK山岸範宏が現役引退(後日JFAアカデミー福島男子GKコーチ就任)。DF有薗真吾 (後日完全移籍で奈良)、浦田樹(同ウクライナ・プレミアリーグ FCゾリャ・ルハーンシク)、川島將(同藤枝)、福田俊介(同群馬)、村松大輔(同現役引退)、MF小野寺達也(同テゲバジャーロ宮崎)、小谷健悟(同FCティアモ枚方)、花井聖(同富山)、安藤由翔(同藤枝)、FWダヴィ、フェホ(同サウジアラビアプリンス・モハマド・ビン・サルマン・リーグ(英語版) アル=オロバーFC(英語版))、前田央樹(同ヴェルスパ大分)がいずれも契約満了で、DFぺ・スヨンとFWチョン・ウォンジェがいずれも期限付き移籍期間満了で、前シーズン途中からFCマルヤス岡崎に期限付き移籍していたFW平井将生が完全移籍に移行しそれぞれ退団。, 一方で、長野からDF寺岡真弘が完全移籍し3シーズンぶりに復帰したほか、讃岐からDF岡村和哉が完全移籍、横浜FMからDF生駒仁(前年度富山へ期限付き移籍)とFW町野修斗、大分からMF國分伸太郎がそれぞれ期限付き移籍で加入し、明治学院大学からDF新井博人、関西大学からDF河野貴志、法政大学からFWディサロ燦シルヴァーノ、流通経済大学からMF新垣貴之、明治大学からGK後藤大輝、桐蔭横浜大学からDF打越大樹、市立船橋高校からGK田中悠也が新加入。, 前年のJ3最下位というクラブ史上最低成績を受け、社長の玉井が年頭の挨拶において「一年ごとの計画や、監督が交替する度にチームの戦術、スタイルが変わる状況では、根底からのチーム再生を実現するのは難しいと判断し」「深刻な後退局面を打開するために、2019年を起点として、中長期的な観点から、改めてチームの基盤づくりに取り組んでいくこと」を表明[76]、シーズン前の新体制発表会において、監督の小林も「まずは6位以内に入って選手たちにJ2昇格もいける、というメンタリティーや自信を持たせたい」と語っていたが[77]、チームに対し「小さい。跳べない。走れない」という第一印象を持った小林が、フィジカル強化を図り、試合や練習で選手の心拍数や移動速度、走行距離などを計測する衛星利用測位システム(GPS)を導入、数値を基に高負荷の練習を続け、トレーニングではシーズンを通して週2日の2部練習を徹底したことも功を奏し[78]、J3リーグ戦開幕から4連勝し首位に立つ。その後しばらくは1位 - 3位をキープしていたが、第15節から5戦連続勝利無し[79] となり、前半戦終了となる第17節時点で8勝6分3敗、勝点30で藤枝にかわされ3位に後退、さらにその後群馬にも追い抜かれ、第20節対G大阪U-23戦で6試合ぶりの勝利を挙げたものの、J3リーグが一時中断した第20節終了時点では9勝7分4敗の勝点34、首位の藤枝に勝点差3の4位となる。, 天皇杯では、福岡県予選決勝で福岡大学を1-0で破り、2年ぶりに本大会出場を果たした。1回戦で徳山大学に6-0で勝利したが、2回戦で神戸に0-4で敗れた。, 中断期間中の8月15日に、山形からFW北川柊斗が期限付き移籍で、横浜FMからMF椿直起、清水からMF髙橋大悟がいずれも育成型期限付き移籍でそれぞれ加入した。, ホームスタジアムがラグビーワールドカップ2019に出場するラグビーウェールズ代表のキャンプ地として使われるため、リーグ戦再開後の9月4試合が4連続アウェイ戦となったものの[80]、新加入の北川が全て途中交代出場ながら4試合連続5ゴールを決めるなど活躍、アウェイ4連戦を全勝しクラブ史上初の5連勝でJ2昇格圏の2位に浮上。第27節には過去5戦未勝利だった沼津にアウェイで1-0で勝利し首位に立つと、第26節から6戦負けなしで迎えた第32節ホーム讃岐戦に4-0で勝利したことにより、同年のJ3における2位以上が確定、4シーズンぶりのJ2復帰が決定した[81]。続く第33節、勝てば自力優勝となるホーム鳥取戦で1-1と引き分けたものの、2位藤枝が敗れたため優勝が決定、前年のJ3最下位から劇的復活を果たしてのクラブ初タイトルを勝ち取った[82]。J2からJ1に昇格して即優勝したケースは2011年の柏、2014年のG大阪と過去に2例あるが、前年の最下位チームが翌年に優勝するのはJ1、J2、J3を合わせて史上初の快挙となった[83]。またホームゲームの入場者数が102,831人となり、2016年の大分に次ぎJ3史上2度目の年間観客数10万人を達成、1試合平均でも6,049人といずれもクラブ史上最高を記録した。, 最終的な成績は19勝9分6敗の勝点66。得点51はリーグ5位、ゴールランキングもチーム得点王の町野が8得点でリーグ20位タイ、他に7得点の選手が4名と、いわゆるエースストライカー的存在がいない中、失点が18チーム中唯一30点を下回るリーグ最少およびクラブ新記録の27、無失点試合14、1試合で3失点以上した試合が0[84] という安定した守備力で勝点を積み重ね、夏の補強で加入した北川、髙橋がいずれも7ゴールを挙げたことも終盤の好成績に繋がった。, 小林体制2年目。かつて山形、徳島2チームにおいて小林の下でコーチを務めた長島裕明が新コーチとして加入[85]。GK中山開帆(後日水戸に移籍)、DF打越大樹(同千葉県社会人サッカーリーグ1部房総ローヴァーズ木更津)、MF井上翔太(同FCティアモ枚方)、川島大地(現役引退→普及事業課コーチ就任)、紀藤隆翔(後日鈴鹿アンリミテッドFCに移籍)、本山雅志と契約を更新せず、FW北川柊斗は期限付き移籍期間満了、MF茂平は秋田への完全移籍によりそれぞれ退団。一方、MF國分伸太郎、DF生駒仁の期限付き移籍、ならびにMF高橋大悟、椿直起の育成型期限付き移籍をいずれも延長、さらにC大阪からMF斧澤隼輝と、前年横浜FMから期限付き移籍で加入していたFW町野修斗が完全移籍で、湘南(前年途中から期限付き移籍で鳥取)からFW鈴木国友、東京VからDF永田拓也、松本(前年度は期限付き移籍で徳島)からGK永井堅梧がいずれも期限付き移籍で、順天堂大学からDF村松航太、桐蔭横浜大学からDF佐藤喜生、阪南大学からMF永野雄大、明治大学からFW佐藤亮がいずれも新人としてそれぞれ加入。, J2リーグ開幕戦は、2015年以来5シーズンぶりとなるアビスパ福岡との福岡ダービーとなったが0-1で敗戦、新型コロナウイルス感染拡大による約4か月間の中断を経て、リーグ戦再開初戦のV・ファーレン長崎戦にも敗れ開幕2連敗となったが、ホームでの開催となった7月4日の第3節・対FC琉球戦に4-0で勝利し、2016年10月30日の対FC岐阜戦以来およそ3年8か月ぶりのJ2リーグ戦勝利、かつミクニワールドスタジアム北九州におけるJ2初勝利を挙げた[86]。第7節から前年のJ3以来クラブ2度目、J2ではクラブ初となる5連勝目となった第11節ツエーゲン金沢戦の勝利が、クラブのJ2リーグ通算100勝となった[87]。続く第12節FC町田ゼルビア戦の勝利により、クラブ史上初となる6連勝達成とともにJ1昇格圏の2位に浮上[88]、その後連勝記録を9、連続試合無敗を10まで伸ばした[89]。9月9日、第18節アウェー愛媛FC戦に1-0で勝利し、10試合ぶりの無失点勝利とともに、クラブ史上初となるJ2首位に浮上[90]、前半戦(第21節)終了時点でディサロ燦シルヴァーノが10得点、町野修斗が7得点などリーグ最多タイの35得点を挙げ、2位徳島と勝点差1で首位を維持しリーグを折り返した[91]。しかし、後半戦初戦となる第22節アウェー東京ヴェルディ戦に敗れたことにより2位に後退[92]、さらに第24節アウェー福岡戦での敗戦により13節ぶりにJ1昇格圏外の3位に転落、そしてJ2全22チーム中唯一の後半戦7試合未勝利(前半戦最後の水戸戦を含めると8試合連続)となった第28節終了時に4位に落ちる。, 本城陸上競技場はギラヴァンツのJリーグ加盟時にJ2開催基準を満たすための改修工事を行い、収容能力が椅子席で10,202人となったが、それでもなおJ1の開催基準のひとつである収容人数15,000人を満たしていなかった。このため北九州市は2013年、小倉駅北側の小倉北区浅野3丁目(小倉駅北口)に、15,000人収容の球技専用スタジアムを建設すると表明[94]。その後の検討を経て建設されたのが北九州スタジアムで、正式開業は2017年のJ3リーグ第1節の3月12日となった[95]。スタジアムの名称については施設命名権(ネーミングライツ)が導入され、地元の不動産会社・ミクニが落札し、「ミクニワールドスタジアム北九州」となった。, 練習場は北九州市本城公園内の本城運動場と、門司区新門司北の新門司球技場[1] を併用する。新門司球技場については、2009年2月までクラブを運営していた特定非営利活動法人北九州フットボールクラブ(北九州FC)が(新門司球技場を含めた北九州市立新門司体育施設全体の)指定管理者となっている。, クラブハウスは当初新門司球技場内の施設を利用していたが、J1ライセンス基準を踏まえて、2016年から隣接する新門司マリーナの一角にある元レストランを改修し借り上げて使用している[96]。, 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。