ショパンの作曲した音楽の中でも難易度が低いのが、ワルツです。 有名な曲もそうでない曲も、淡々とした舞踏用とは違い、ショパンの独創的な ちょっぴり悲しげで、美しい旋律、どこか懐かしさのあ … ワルツが世界的に有名になったのは1814年に開かれたウィーン会議と言われています。それ以前も作曲されていたと思われますが、ウィーン会議以降いろいろな作曲家がワルツを作曲し演奏会で演奏されるようになりました。, 多くの作曲家がワルツを作曲していますが、今回はそのなかでも有名なワルツを聴き比べてみたいと思います。, ワルツの父とも呼ばれるヨハン・シュトラウス1世(1804〜1849)は150曲以上のワルツを作曲したといわれています。また、ウィンナ・ワルツの原型を完成させた人物でもあります。, ヨハン・シュトラウス2世(1825~1899)はヨハン・シュトラウス1世の長男で、父を凌ぐほど有名なワルツを残しています。, 「ワルツ王」のほかに「ウィーンのもう一人の皇帝」などとも呼ばれているくらい、ウィーンでは功績を残した作曲家なんですよ。, ポーランドの作曲家ショパン(1809~1849)はロマン派前期を代表する作曲家で、数々の美しいピアノ曲を残しました。ワルツもたくさん作曲しています。ショパンのワルツは、ピアノを習っている子にとって「いつか弾いてみたい憧れの曲」でもありますね。, ハンガリーのピアニスト&作曲家でもあるリスト(1811~1886)はピアノの超絶技巧を持つことで有名ですね。彼のピアノ作品は難曲が多いです。自身がピアノストでもあるため、多くのピアノ曲を残しています。, ロシアを代表する作曲家チャイコフスキー(1840~1893)は「ロシアのワルツ王」と言われるほど、魅力的なワルツを作曲しました。, ワルトトイフェル(1837~1915)はフランスの作曲家です。ワルツやポルカなどを中心に作曲しました。「フランスのワルツ王」と呼ばれています。, イヴァノヴィッチ(1845~1902)はルーマニアの作曲家&指揮者です。イヴァノヴィッチという作曲家を「知らなかった!」という人もいるかもしれませんね。, 「ドナウ川のさざ波」が代表曲ですが、「ドナウ」といえばヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」もあり、混乱しやすいです。・・・が、シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」は明るい曲調なのに対し、イヴァノビッチの「ドナウ川のさざ波」は哀愁を感じさせるワルツとなっています。, レハール(1870~1948)はオーストリアやドイツを中心に活躍した作曲家です。オペレッタを得意とし、その作品のなかでワルツも作曲しています。, 「水の戯れ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」などで有名なフランスの作曲家ラヴェル(1875~1937)は印象派の作曲家として知られていますね。ラヴェルはピアノ曲はもちろんのこと、オーケストレーションも素晴らしく「管弦楽の魔術師」と呼ばれています。, 「剣の舞」を作曲したことで知られるハチャトゥリアン(1903~1978)は旧ソ連の作曲家&指揮者です。バレエ音楽や映画音楽を中心に作曲しました。, ハチャトゥリアンのワルツといえば、「仮面舞踏会」のワルツですね。日本ではフィギュアスケートの浅田真央さんが2009~2010年のシーズンをSPで使用したことで有名になりましたね。, 旧ソ連の作曲家ショスタコーヴィッチ(1906~1975)は交響曲の評価がとても高いことで有名ですね。ショスタコーヴィッチは「4つのワルツ」を作曲しましたが、その中でも有名なのは第2番です。, 「ピーターと狼」や「ロメオとジュリエット」でおなじみのプロコフィエフ(1891~1953)は、ロシアの作曲家&ピアノスト&指揮者です。プロコフィエフ自身がかなりの腕前のピアニストだったこともあり、多くのピアノ作品を残しています。, どの作曲家も自分の個性をしっかりワルツに反映していますね。おなじ「ワルツ」でも作曲家によって色が異なるのがおもしろいです。, この他にもワルツはたくさんあるので、機械が合ったらぜひいろいろなワルツを聴いてみてくださいね!, -ピアノ, 作曲家, 形式, 舞曲, 音楽 ●初心者でも参加できる発表の場って?, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。, Follow @kana_piano_life こんにちは、ピアノ弾きのもぐらと申します。「え、もぐら?」ととっさに思われた方々、そうです、もぐらです。畑の地中にいるのが大好きですが、ピアノを弾くのも同じくらい大好きなもぐらなのです。 「人生はff〜フォルティッシモ〜」このブログは自分のライフステージとしてピアノに挑戦し、自分の人生を最大限に輝かせていきたい人たちを応援する場所です。, バレエ音楽やオーケストラの曲として使われることもよくあるワルツですが、今回はピアノのためにつくられたワルツに焦点を当ててみました。, ショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれるほど、生み出した作品のほとんどをピアノ独奏曲が占めています。, 中でもワルツは、ゆったりとした美しいメロディの特徴をもっていて大変人気も高いです。, ショパンの曲の中でもワルツは比較的易しいものが多く、練習に取り組みやすいこともありピアノ歴が浅い人にもおすすめなんです。, ショパンの名は広く知られているので代表作は数多くありますが、今回はショパンのワルツの素晴らしさをお伝えできればと思います。, それでは、作品誕生の背景となるショパンの生涯と、厳選したショパンの美しいワルツをご紹介しますね♪, 過去にはショパンの肖像がポーランドの紙幣にも使われ、人気も知名度も高い音楽家であることがわかります。, ショパンが病弱だったという話は有名で、わずか39歳という若さでこの世を去りました。, とても興味深いことに、繊細なイメージ通りの作風の曲だけでなく、情熱的な作風の曲も見られるんです。, それは陽気でユーモアにあふれる性格の持ち主だったと言われていることも関係しているのではないかと思われます。, ショパン(フレデリック・ショパン1810-1849)は1810年、ポーランドの地でフランス人の父とポーランド人の母との間に生まれました。, しかし最初にピアノを教えてもらったのはお母さんからではなく、お姉さんだったという話もあります。(お姉さんと仲良しだったんですね!), 6歳のときヴォイチェフ・ジヴヌィから音楽を本格的に教わり始め、翌年からピアノを習い始めます。, この頃すでに耳にした旋律を再現しようとしたり、新たなメロディーを作ろうとしていました。, そして7歳のとき「ポロネーズ ト短調」を作曲します。(7歳で作曲とは、びっくり仰天ですね), そのとき聴衆からは、あの神童モーツァルト(1756-1791)の再来だ!と騒がれたほどで、卓越した才能はまたたく間に注目を浴びるようになります。, 早々にピアノの才能を開花させたショパンですが、沢山の友達がいる多才な少年だったんだとか。, 彼は幼少期からユーモアにあふれ、他人の仕草や表情を上手に真似たり漫画を描くのも得意で、学校ではクラスの人気者でした。(得意なのはピアノだけじゃなかったんですね!), そして11歳の頃には、ワルシャワに来ていたロシアの皇帝の御前で演奏をしたり、ポーランドの副王の息子の遊び相手として宮殿に招かれることもありました。, 在学中、妹を結核で亡くすという何とも悲しい出来事がありますが、入学から3年後ショパンは首席で卒業します。, 音楽院の先生は、ショパンの通知書に「顕著な才能」「音楽の天才」と記したそうです。(一度でいいからそう書かれてみたいですよね!), 好意的な評価が多かった半面、残念なことに「ピアノからは小さな音しか出なかった」との批判の声がありました。, ショパンは繊細なニュアンスを重視していたので、その美しい音色は広い会場では隅々まで伝わらなかったとも言われています。, しかしその背景には、当時オーストリアがポーランドに対し政治的に敵対していたことも関係があるというお話があります。, ポーランドという看板を背負ってウィーンに出てきたショパンに反感があったのです。(芸術は美しいものなのに、政治を持ち込まないでもらいたいです…), 1830年ウィーンで過ごす中、「ポーランドで11月蜂起が勃発した」という知らせを受けます。, その時、祖国への強い郷愁を抱いたショパンを家族が説得し、ショパンはポーランドに戻ることを諦めました。, この頃、別居中のデルティナ・ポトツカ伯爵夫人(ポーランドの歌手)と交流をもち始めていました。, (彼女はのちに、ショパンの人生において重要な役どころとなりますので覚えておいてください♪), パリではヨーロッパ中から弟子が集まり、ショパンは弟子への指導で相当の収入を得ていたという話もあります。, 演奏会の開催については、ショパンがもともと公開演奏が好きではなかったことから、年1回のみパリで行われました。, ショパンは貴族や芸術・文学エリートが集まるサロンで頻繁に演奏をしたり、友人が集まった自宅で演奏することを好んでいました。, すでに彼の健康状態は思わしくなく、ヴィルトゥオーゾとしてあちこち外遊することもできませんでした。, そして1836年、ショパンは26歳のときマリア・ヴォジンスカという女性に求婚します。, マリアが幼い頃から家族ぐるみの仲でしたが5年ぶりに再会し、知的かつ芸術の才に恵まれ、魅力的なマリアに心を奪われたのです。, しかしマリアは16,7歳とまだ若かったこと、ショパンの健康状態の悪さからマリアの両親に結婚を無期限延期と言われてしまいます。, その後しばらくはポトツカ夫人がショパンにとって、創造上かつ女性として興味を注ぐ対象となっていたそうです。, さらに、マリアに求婚した年にはリストの愛人のホームパーティで、ショパンはジョルジュ・サンドという文筆家の女性とも知り合っていました。(なんか、いろいろとドロドロしていますね(笑)), 1838年ショパンはサンドと交際をスタートさせ、サンドの子供たちとも一緒に過ごしていました。, サンドは恋人との生活というより看護中心の生活となり、ショパンの身の回りのことを色々行っていましたがイラ立ちも感じていました。, それは「主人公の裕福な女優と身体の弱い王子」の話で、サンドとショパンを指すと解釈できます。, 共通の友人が二人を和解させようとするものの、ショパンはそれに応じることはなかったそうです。(ショパンは頑固な性格だった?), 9年にも及ぶ二人の関係に終止符を打ちましたが、この頃「幻想曲」「英雄ポロネーズ」「舟歌」などたくさんの傑作が生まれています。, 1848年演奏会を開きますが、実はショパンにとってこれがパリでの最後の演奏となってしまいます。, それでもイギリスへ公開演奏にいきますが、多忙から体調がさらに悪化することになります。, パリから戻った後はレッスンを行う体力はもはや無く、生活費の大半と医療費も不足するようになり、家具などの所有物を売り払うこともしたんだとか。(やはり医療費がかさんでいたのでしょうか), 1849年「家族と共に居たい」とショパンは強く願い、姉ルドヴィカがパリに来てくれます。, 亡くなる数日前に、ショパンは「ジョルジュ・サンドが『私の腕の中で息を引き取らせてあげる』と約束したのに」と不平を口にします。, ポトツカはショパンの望み通り、彼の苦しみを癒すためにその美しい声でイタリアの古いアリアや讃美歌を歌ったんだそうです。, ショパンと彼女は友情で結ばれていましたが、一時は恋愛関係にもあったと言われています。, そしてショパンは、お姉さんと一握りの近しい友人のみに囲まれて息を引き取ったそうです。, ショパンの亡骸はパリの墓地に葬られましたが、のちにお姉さんがショパンの心臓をワルシャワに戻し、ショパンの遺志を叶えました。, ショパンの後半生の大部分はフランスで過ごしましたが、さすがお姉さま…ショパンの心がいつも母国ポーランドにあったことをわかっていました。, ショパンは生まれたときも、亡くなるときも音楽と一緒だったということがお分かりいただけたと思います。, でも病弱だったショパンは、ヴィルトゥオーゾとして各地を回ることも、公の場に出ることさえも積極的にしようとはしませんでした。, それにもかかわらず、ショパンがピアニストとして最大級の名声を得ていたことは非常に特殊だったと言われています。, ショパンがどういう人物だったのかわかったところで、いよいよショパン作曲のワルツをご紹介します♪, 「ワルツ」というありふれたリズムを用いても、ショパンならではの独創性が光る作品の数々になっています。, でも実際に弾くとなると、「ショパンの曲って難易度が高いのでは?」と身構えてしまうかもしれません、がそんなことはありません。, ショパンのワルツは比較的演奏しやすいものが多く、ショパン演奏の入門としてピアノレッスンではしばしば用いられるんです。, この曲は、全体を通して同音連打の技術が必要で、弾きやすい指番号を使うことがこの曲を上手く弾くための重要なポイントになってきます。, 恋人のジョルジュ・サンドとの不思議な関係が安定期を過ぎ、破局を迎えようとしていた頃の作品。, 病気にむしばまれていくショパン、自由すぎる子犬を見て表現したいことがあったのかもしれませんね。, こちらは1835年に作曲され、悲しい恋に終わったマリアとの「別れのワルツ」として有名です。, 生前には出版されず、1853年にユリアン・フォンタナ(ポーランドの作曲家)によって出版されました。, 一般的に、ショパンのワルツは「高貴で洗練された響きに満ちあふれている」と言われることが多いんです。, 同時代でショパンをよく知っていた作曲家シューマンは「もし(ショパンの)ワルツに合わせて踊るのであれば、その相手は貴婦人でなければならない」と言いました。, それはつまり、ショパンの作曲したワルツが、当時本場のウィーンで流行した大衆的なワルツではなく、パリの高貴な婦人たちと楽しむためのワルツに聴こえるという意味です。(なるほど!うなずけますね), 今回ご紹介したオリジナル(原曲)は、実はどれも中級に位置付けられています。(中級!?む、難しいのでは?), 大丈夫です。弾いてみたいと思ったら、その憧れる気持ちを原動力に変えてみてください♪, ピアノを始めたばかりで原曲は難しいと思われた方は、初心者向けにアレンジされた楽譜もありますのでご安心ください!, 原曲のイメージを損なうことなく、良いアレンジをされていると思います。何十年もピアノから遠ざかっていた私が、楽しんでピアノを弾いています。, 「仮想演奏会」は、ピアノを演奏している動画を投稿することで、誰でも気軽に参加できる新しい演奏会のカタチです。, 初心者からプロまで、さまざまなピアノ歴の演奏者たちが、誰でも”ピアニスト”として発表の場を持つことができます。, 丸田カナのツイッターからも、仮想演奏会の募集開始やエントリー状況についての情報を受け取れます♪, ピアノ練習に役立つコラムも発信していますので、ご興味あればぜひフォローしてみてください!, ●大人になってからピアノを始めた!